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夏風邪 点滴

連日の猛暑でとてもだるい。

熱でもあるかと思って計ると平熱。

寝付きも悪い。

又熱計ったら36.9度。

安静にしておこうと酒も飲まずに休んで1日過ごしたら、37.2度。

困ったもんだと、もうクーラーで安静しかない、と土曜日も慎んでいたが、

土曜日の夕方には38.0度。

 

もうしんどいし、病院に見てもらった方がいいだろうと、行き付けの病院に時間外だがいいか?と問い合わせると、いろいろと沢山のやり取りの後先生に聞きに行ってもらってOKがでたので車で病院に走らせる。

もっとも、行き付けと言っても、地域の時間外診療割り当てがあるので、内科の当番が違う病院だったら初めから不可であった。

 

患者はほとんどいないが先生・看護婦・技師もほとんどいないので、それなりに待つ。

入院患者の対応・検査はやっているよう。

 

口の中を見て、胸の問診聴診、背中も。

念のためにレントゲン。

夏風邪とのことで、脱水症状もあるから点滴も打つ、とのこと。

 

1時間15分かけて点滴。

最初は暑くてかけ布団を置いていたが、点滴で体温が下がって来たのか寒くなる。

布団をかける。

点滴はじわじわと効いてくる。

喉の渇きにも奥の奥から効いてくるよう。

 

帰って簡単な夕食。

薬を飲んで就寝。

ここ数日から外気4度ほど低い夜。

久しぶりにクーラー無しで眠れ、点滴と薬のおかげで数日振りによく眠れました。

やれやれ。

 

 

嵯峨野明月記 辻邦生

《  〈嵯峨本〉は、琳派本阿弥光悦、絵師の俵屋宗達、商家の角倉素庵、の工夫が凝らされた歴史的書巻にして豪華本。

 

17世紀、織田・豊臣氏の壊滅から徳川幕府が政権をかためる慶長・元和の時代。

戦国の世の対極として、永遠の美を求めて〈嵯峨本〉作成にかけた光悦・宗達・素庵の献身と情熱と執念。芸術の永遠性を描く、壮大な歴史長篇。  》

 

直線的な物語ではなく、イメージや心象と現実事象を交互に繰り返し、文字通り余白の余地もなく話が語られる。

著者はかつて『安土往還記』において扱った信長周辺の時代について、芸術と人間というテーマで更に切り込む。

戦場記録のような為政者の視点ではなく、道々を武者行列が通り、遠く山の向こうで合戦のどよめきが聞こえたり、京都から非難する民衆の姿とか一人の町衆の視点が斬新。

 

この小説には改行が無く余白が乏しい。

しかし喚起や余韻の響くべき余白は読者の心の中にあると言わんばかりの充実。

「美」「芸術」「創作」「実業」「女性」「王朝」「書」「絵画」の錯綜と収斂。

細部の美しさ。

 

感想印象だけなら何のことだが判らないかもしれないけど、いわゆる戦国時代を芸術家や町人視点から描いた歴史小説

正しく、絢爛とした安土桃山時代の一断面でしょう。

 

人物の行動を線や曲線にして物語を描くのではなく、数々のイメージ・風景・エピソードを重ね合わせて物語を型造っていく。

 

感想というか直ぐの印象だけど、これはエンターテインメントでもラノベでも大衆novelでも無理だろうな作品で、狭義の『文学』でなければ味わえない読後。

いわれる歴史小説家には描くことの無かった風景。

 

静かに幕は引かれるが、物語冒頭の3つの語りが半エピローグにもなっていて余韻が広がる。

この作品についての感嘆を、うまく言葉に出来ないのがもどかしい。

 

嵯峨野明月記 (中公文庫)

嵯峨野明月記 (中公文庫)

 

 

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腰が痛くて整骨院へ

家の片付けとか庭の草引きのお手伝いに行ったりしてたら、左腰が痛くなっていた。

 

突っ張ったような、左腰を曲げると痛いような、特に床に寝た状態から起き上がるのが一苦労。

あちちアタタおうおう、とか言いながら、体勢を変えながら起きないといけない。

徐々には良くなる感じもするが、簡単には収まりそうにないので整骨院に行くことにした。

盆休みに入ると行きたくとも行けないし。

 

ベッドに右向き横に寝る。

院長による触診、といっても院は院長一人でやってる。

個人でやってる所では予約が機能している。

ふつう病院のようにで2~3時間待たさない。

 

骨盤補正を時間をかけてゆるゆるやってくれる。

バキバキ押したり捻ったりしない。

そういうのとは流儀が違うのでしょう。軽くシッカリと押す、摘むと言った程度。時間はかける。

痛い部分ではなく腰骨中心部分の手当。

 

その後、大きな吸盤状のものをペタペタ腰に貼って電気をかける。

電圧により徐々にブルブル震えてくる。

結構強いブルブルのまま十分以上?放置。

刺激は強いのですが、途中で寝てしまいそうになります。

タイマー音がなって吸盤を解除。

 

次は腰をカイロ状のもので暖かく包んで、左手は腰上で握って伸ばす姿勢に。

そこで左手拳に小指の下あたりに置鍼を一本刺して、また放置。

徐々に左手の芯の緊張が解れていくのが判る。

 

最後に腰にクリームを塗る。

とても熱いですよ、と言われるがホカホカでピリとする程度。

血行が悪いのだろう。

 

終わってみて痛みが数割方は軽くなったので助かる。

骨盤補正もあるのでれ健康保険は効かない、とのこと。

電気だけなら保険が化きくので、しばらく詰めて通院したらいい、でした。

 

 

 

 

ベルセルク、コミックとアニメ

アニメ化を期に原作コミックを半ばほど読み返した。

 

昔読んたときには、話の筋を追うのがもどかしくて流し読みのような感じだったので、今回じっくり読み直して納得するところが多々あった。

アニメ化に対して文句が多いのも、これだけの原作なら思い入れある人は多いし、確かに原作の逐次解説的なアニメ化でないし、メリハリとアニメ文法の違いもあり、苦情はどーしても已む無しかなとか。

 

でもその一方、フツーのファンにしてみると、というか改めて見返すと再発見は多い。

アニメ最初でエロヒステリーで素敵だけに見えたファルネーゼは、17巻以降の人間性へのシフト、伝奇バイオレンスからトータルファンタジー&アクションへの転換への大きなキャラ役割を果たしているし、このあとの魔法少女投入も含めて、大きなヒューマンドラマに転換していく先駆けでもあったのだ。

 

実際、物語は前期とは変わり、後半からは人間のドラマにシフトし、それは無理にガッツのキャラを弄るのではなく、魔女狩りの炎に魅せられた貴族の少女、現実に投げ出された孤独な魔法少女を通して、ガッツはふと頷いたり道端で目を閉じて待っているだけなのに、キャラの成長と広がり、新キャラの活躍から世界観が豊かに広がっていく。

 

かつてSF作家の平井和正が作風を改めたきに、読者の苦情に対して「私は人間の獣性の代弁者だったことはない」と反発したが、ベルセブルグに対しても前期以降の作風の変化についてホノボノ路線に変更したとか批判もあるようだが、そんなものではあるまい。

 

コミックは蝕まで広げた大風呂敷を見事に畳んで収めつつあるし、異界魔界とのスケール尺の違いも克服しつつある。

 

こんかい再度読み返して、いままでバラバラ途切れ途切れに読んでいてサイドキャラの再登場とか経過を見過ごしていたのが今回一つにつながって感慨があった。

 

馬乗り少女が旅の連れになり最近では船旅で師を見つけたのか、とか、鷹のオデコテレパスが魔女子供と楽しくお話ししたりしている、とか。

ガッツでも鷹でもなく、売春婦ルカ達が出たり消えたりするのも興味深い。

 

まあ、原作に感心すればするほどアニメには?が多くなるが、それはそれこれはこれとして楽しみましょう。

  

ベルセルク 38 (ヤングアニマルコミックス)

ベルセルク 38 (ヤングアニマルコミックス)

 

 

矢場とん  くし5本定食 1,134円 大阪松竹座店

名古屋の高級味噌カツ店、で有名な矢場トンの大阪初出店の店。

松竹座はミナミのグリコマークやカニ看板や食い倒れのすぐ近くの歴史ある劇場。

 

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ロース串カツ5本、の定食です。

味噌ソースのかかった串を一口食べて、ああこれは関西に無い味、と納得。

というか人によっては不味い、と言うかも。

甘い赤味噌ベースのエグいようなインパクトが舌先から奥にかけて広がる。

味噌の強さは、これは御飯が進むだろうなと思いながら食す。

串5本といっても結構ボリュウムがあるので不足感は無い。

ミソインパクトも強いし。

白米御飯は御代り自由、美味いメシです。

 

でも、味噌の存在感は強烈だが、後を引かない。

口の中にベトベトまとわりつく事が無い。

ご飯食べたり、味噌汁飲んだり、サラダ食べてたりすると口中がリセットされて次の一口、一串に進めさせる。

この辺りの味のバランスの取り方というか、ソース配合は流石に有名店になるだけの事はあると感心させられます。

食べ終わって店を出でも、口がミソ味まみれということはなくてサッパリしてます。

 

例えは変ですが、天下一品のラーメンは普段あまり食べる気にならないが年に一二回食べてみたくなるような変な魅力がありますが、そんな風な魅力はあります。

この味に慣れてくれば、また舌の感触も変わって来るでしょう。

 

ただ、まだやはり此の味に慣れないので、次来たら味噌ソース抜きで、テーブルのウスターソースや辛しで食べたいという気持ちもあるけど、そんな注文付けたら店に失礼だろうか?

 

まあ、いずれにせよ出来が良くて美味しいのは事実です。

マニュアルの寄せ集め接客の窮屈さ無味乾燥さでなく、名古屋の地元で鍛えた店員の接客も丁寧で独特の個性を感じさせます。

 

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tabelog.com

 

 

冷汁ととり南蛮の定食 やよい軒

先日、大阪ミナミの商業ビルで下りエレベーターを待っていた。

エレベーターはいつも空いている事が多い。

この階に来た。

扉が開くと警察官が隙間なく満載で、思わず目を見開いた。

警官はどやどやと出てくるとビル奥の方へ向って行く。

後尾に簡易担架を持つ救急隊員いたから病人だろうか。

でも警官5人以上はいたから、取り押さえる必要のある病状事案か?

いずれにしろ日々いろいろとあるみたいです。

そういえばピルの中で、うなされているような男の叫び声が何度か聞こえたりしていた。

 

夕暮れ頃から飲みに行く。

 

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飲み終わって〆の飯にやよい軒

私の後から中国人が9人来て、店員に席を頼んでいた。

中国人もツアーで来るのではなく、家族や親族一同で街中を歩き回って、やよい軒とかコスパに優れた店に普通にいるようになってきた。

喫茶店の英國屋でモーニングを頼む中国人一行もよく見かける。

かの国の浸透力は侮れないものがある。

 

オーダーは、冷汁ととり南蛮の定食。

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冷たい味噌汁に、アジの焼きものとトリ南蛮-かんたんフライと言ったところか。

味噌汁にごく小さな氷が数十入っている。

氷が解けても味が狂わないように仕上げているのは流石。

 

酒を飲んだ後、火照った内臓に冷たい味噌汁をひやひやごくごく飲むのは、腹に浸み渡るようで良いものです。

ざるそば大盛や吉野家の麦とろ御膳だけでなく、夏の定番が増えそうです。

 

 

村上春樹 2冊。

ひさしぶりに村上春樹のエッセイを読みたくなって、未読のものを購入。

一時期つれづれなる時は、村上春樹のエッセイばかり読んだり読み返したりしていた。

 

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村上ラヂオ

まぎれもなく氏のエッセイなんだけど、なんだか物足りない。

内容も特に他エッセイと変わっている訳でもないが、一篇の文章が短い。

連載枠の制約だろうけど、ハルキらしさが漂ってくる前にアッサリ文章が終わってしまう様で、食べ足りないような不満がややあった一冊。

 

次に、村上春樹 雑文集。

これは面白い、というか読み応えがあった。

実はまだ読んでいる途中なんだが、そんな感じ。

過去から今まで書き散らしていた文章で、単行本に載っていないものをまとめたもの。

そういう成り立ちの雑文集、エッセイに近いものかと承知していたので、実はあまり期待していなかった。

面白いものだったら、既に本になっているはずでしょ、という推測から。

 

実際読んでみると、内容は他人の本のために書かれた解説文・推薦文、依頼があって書いたが雑誌の方針とちがったため未発表の文章、各賞受賞あいさつ、ジャンルの違う雑誌に単発的に書かれたもの・聞き書き、等々。

つまり一つの集中したカラーに括れないもので、結果として本にならなかった文章。

 

だから村上fanにとっては、これらは却って面白い。

内容が多彩なのだ。

普通の村上エッセイが、氏の文章芸の中でグルグル廻って完結するといれば、例えばその結果として小確幸落ちになったりヤレヤレ落ちになったりしているとすれば、この雑文集では他の事象との関わり合いにおいて作った文章。

だから他のエッセイ類に比べて、いわゆる『春樹臭さ』が希薄。

それだけ多彩な内容、ということ。

 

そして内容も時系列も多彩で、なおかつ氏の文章の個性は色々な場や時間においても、やっぱり村上春樹の文章であって、本としての纏まりが無くなることはない。

 

冒頭近く、カルト宗教の物語と文学の物語の違いに書かれた文書など、氏のオウムノンフィクションの解題としても、春樹氏自身の物語論としても極めて興味深かった。

 

音楽関係では、黒人差別とユダヤ人と日本人ジャズ観衆について歴史も踏まえた記述とかもある。

 

挨拶関係では、初期の気の抜けたふざけた感じは中々良い。

例のイスラエルでの卵と壁のスピーチ、これは私は余り感心しなかったのだが、あえて政治的メッセージを発しに行っているように思っていた。

だが報道で読むところでなく、解説文とスピーチ全文を読むと、氏としても苦渋の決断だったことがわかる。

 

氏は海外の読者については極めて積極的にマーケットにアプローチしてきたので (日本の陰湿な文壇や出版業界に嫌になったのだろう)、海外読者に直接意思を伝える場を放棄することは自分に納得できなかったのだ。

その結果は、やはり私的には?だけど、氏の決断と行動の果敢さは理解できた。

 

というわけで意外に実に?充実した一冊で、オススメです。

装丁が安西水丸和田誠の双画というのも贅沢。

 

村上春樹 雑文集 (新潮文庫)

村上春樹 雑文集 (新潮文庫)

 

 

 

土曜日にbarに行く。

Barに行くのは大抵平日。

早い時間帯に行って、2.3杯飲んで帰る。

近くでラーメンか丼でも食べて〆、とする。

最近は吉野家の麦とろ御膳が多い。

 

土曜は家の用事をしていることが多いが、たまにつれづれのひねもすで、barで時間を潰したくなることもあった。

年に数回くらい。

でも数年前に行き付けのbarが閉まってしまったので、もう3年は土曜barは無かった。

この2年余りで、いろんな店に飲みに行って見て、ようやく数店のローテーションに落ち着いてきた。

 

土曜日、店に入ってみるとカウンターには女性ばかりが座っていた。

初めての店だったらビビるところだった。

 

知っている店なので、構わずカウンターの端で飲んでいた。

少し窮屈に思えるのは別に気にするほどでもない。

ただちょっと気になったのが、小さな声でヒソヒソ話して何かわからないのだが笑い声が時々喉に潜ったような声でワッと聞こえる。

そういうのが割と繰り返される。

その店は声を潜めて話すような店ではないので、割と違和感があった。

 

行き慣れた店でも、土曜日はまた雰囲気が違うので、また時間帯を変えて行って見るのも面白そうでした。

 

角のハイボール

デュワーズ12年のハイボール

サンドイッチ。

白州12年のハイボール

 

土曜日午後の散財でした。

新選組の後始末どすえ

新選組遺聞 (新選組三部作・中公文庫) 子母沢 寛。

当時まだ生きていた江戸の古老からの聞き書きは、ただの小説とは比べるべくもない迫力がある。

 

新撰組、近藤や沖田の軌跡も言うまでもないが、かえって聞き書きの該当者というか話し手、例えば八木為三郎に注目するのも面白いと思う。

 

新撰組は当初、京都の八木家に間借りして活動していたが、その八木家において身内の芹沢鴨暗殺が行われる。

このドキュメントも面白いが、八木家の反応も今日的視点から見ると中々なものがある。

 

芹沢鴨暗殺は、表向きは長州勢ら勤王派の暗殺ということに装っているので、芹沢鴨の葬儀もきちんと上げ、近藤や土方は深刻な顔をして嘆いたたりしているのだが、八木家の人の目には暗殺実行直前に土方が下見に来ている、芹沢鴨が寝ているかどうか確認しているのを目撃してるし、いろいろとバレバレなので八木家夫婦して陰で可笑しくて笑いを堪えていたとか、時代が違うとはいえ京都の人のメンタリティーはたくましいというか、ちょっと違うものがある。

 

後になって、2年余り過ぎて新選組が八木家を出で他の地に移転することになったとき、近藤が八木家に御礼の形として3両ばかり包んで渡したのだが、もともと金銭的な家貸しでは無くて公儀のためとは言いながら、八木家から借りた武具は壊して返す、芹沢のように畳上で数人斬殺はする、刑罰としても切腹介錯は良くあることで、日常的には酒をせがむ飯食い諸々夜半までと、迷惑の限りを尽くしていたので、八木家当主が3両を目にして思わず『2・3年もいた家賃にしては安いな』と笑ってしまったら、後で近藤が赤面していたと沖田の言。

 

このあたり、千年の都京都の町人は権力者に振り回されるだけではない、したたかな強さがあるようで実に興味深かった、です。

 

新選組三部作 新選組遺聞 (中公文庫)

新選組三部作 新選組遺聞 (中公文庫)

 

 

 

高台家の人々、映画みて振り返って

映画・高台家の人々、配役は皆それなりにハマっている。

綾瀬はるかが美人すぎるとか、王子様役が硬質でやや沈痛なところとか映画で出来るのかとか、映像化を危惧していたが、好く配役をこなした。

 

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テンポよく前半はコミックに実写の命を吹き込んでいたが、しかし終わりに近づくにつれ映画リアルベースの解釈とコミック世界が乖離し始めて、ありふれたテレビドラマに堕ちてしまった。

監督と脚本のセンスが、原作のセンスに追い付かないのだ。

映像化で面白くしようとしたり高尚にしたくて、したくても出来なくて前半の楽しさを台無しにしてしまった。

 

今回映画を観たのは、たまたま原作コミックを読んだら、そのセンスの良さに感じ入ったから。

妄想少女テレパスとのラブコメなのだが、人に対する理解の自然さが並みのコミックに比べて群を抜いている。

 

だから奇抜な設定でも違和感を感じさせない。

そこから生まれるドラマは面白くて、優しくて暖かい。

「変な服」とか「俺は誰と結婚するんだ」と妄想への冷静なツッコミも絶妙。

 

原作者・森本梢子はコミック『ごくせん』で有名で、ヤクザ組長の娘が学校の先生になるというあれ、でも森本梢子この作者は全く読んだことがなくて、ごくせんのヒットもショムニみたいに、たまたま映像化がヒットしただけの、そんなもんだろうと勝手に思い込んでいたが大間違いだった。

 

同作者のアシガールも、可愛いくて、たくましくて、お馬鹿で笑えます。

時代劇人物と現在、という命題?について、最近アニメのクロムクロでちょっと失望していたのですが、アシガールのヒーロー役殿様の自然さには感嘆しました。

 

コミック高台家の人々、については大絶賛お勧めです、というか、読んでいないならこれから読めるのが羨ましいくらい。 

高台家の人々 1 (マーガレットコミックス)

高台家の人々 1 (マーガレットコミックス)

 

  

アシガール 1 (マーガレットコミックス)

アシガール 1 (マーガレットコミックス)

 

 

 

 

 

追想五断章 (集英社文庫)   米澤穂信 、 読後

小説を読む楽しみを、この作者はきちんと提出してくれるのが、読んでみて何時もながら嬉しい。

 

職がなくて親類の古本屋でのアルバイト生活、本筋に沿って確かに物語は進んで、変に恋愛を絡ませたり、突発的すぎる事件も起こりません。

そんな冗長な物語的余技に陥ることなく文章力・構成・話で勝負する。

米澤氏の満願を読んだとき、昔々学生のときに松本清張の黒い画集を読んだときに受けたようなインパクトがあったが、清張作品よりも人の姿の成り立ちがくっきりするような描写。

 

個人が発表した世に知られない古い小説を探すストーリーなのだが、主人公、依頼者、主人公の背景、探索で出会う人物達、語られなかった動機背景、古い小説の文体。

それぞれがそれぞれに的確で達意で、言葉が過ぎず、文章も話も納得させてくれる。

終盤になって、依頼者の背景が浮き上がってくる緊張感なんかも良いものでした。

 

追想五断章 (集英社文庫)

追想五断章 (集英社文庫)

 

 

 

タブレットが壊れた。

2013年から愛用して、酷使していたネクサス7のLTEモデルが遂に動かなくなった。

 

最近ではいつものようになっていたけど、タッチパネルに反応しなくなり、電源を切って繰り替し待ってみても復旧しない。

しまいには電源を切っても直ぐに再起動してしまう。

 

再起動して元に戻ればいいのだけれどもGoogleロゴのままで停止したまま。

電源が切れないのでスイッチと音声の±同時押しでやっと電源が切れる。

そうしてしばらくしていたら電源も入らなくなった。

 

充電コードを挿しても電池マークも現れない。

いよいよ困ったということで後継タブレットを求めに、よく行く家電量販店に行って見るも、今はネクサスGoogleの売り時ではないようでネクサスシリーズは全く置いていない。

 

ネクサス7と同等のものないか?と店員に聞いてみると、よく似たものはあるが実際のところはスペック的にネクサスseriesはスペック高くて、今売ってるものではややスペックダウンになる、とのことだった。

 

次に行って見たのがソフマップだったか、ネクサス9が展示してあったので、これでいいかと聞いてみると、結局展示品しかない、在庫有るが県外からの取り寄せになるので最低3日はかかる、とのことだった。

結局このあたりにおちつくのだが、もう数店舗見て回りたかったので、ソフマップは後にした。

 

結局の結局、最後に行った巨大家電量販店に置いてあった、展示品のネクサス9 LTEモデルに決めたのだが、それでもメンテナンス仕上げに数日掛るという。

 

別に1品に数日かかるという意味では無くて、同様のリクエストが詰まっているので、その順番待ちも込みでの話。

店頭展示品はソニーのノーパソコンvaioを買ったことがあるけど、その時は1年のうちに2回もメーカーに修理返品したことがあったので、いやだなぁともおもったが、もう探すのもいやだなぁもあって、手を打った次第。

 

で、ネクサス9.

これは良ござんした。

画面も広くて、タブレットとはこういうものかと、改めて画面の広さと美しさに感心したりしました。

コミック読むのも原寸大に近くてとても好い。

流石は解像度 2048×1536 ドット。

 

ただ、古いネクサス7が完全に壊れているのでアプリの同期ができない。

できるのはGoogle系のものだけ。

他のAmazonkindleなんかは一々ダウンロードしてログインしないといけない。

ちょっと面倒です。

 

あと、解析度も高くて画面広いし、やはり電力消費はネクサス7より多そう。

ざっと1割方、消費電力ペースは高いかな?という感想。

画面タッチの反応が良い。機敏。

やはり古くなったものと新品ではこういう所に差が出るか。

 

バンカーRingをネクサス7から取り外してネクサス9に取り付けたが、これも広い画面を力を入れずに支えるのに丁度良い。

 

普通の人ならスマホ持って、そのままタブレットと同期して、と言う感じだろうけど、私はガラケーなのでタブが壊れてしまうと同期できない。

予備で安物か中古アンドロイドでも買っておくかとか思案中。

 

もともと買い替えの予定はあったのだけど、ネクサスシリーズの新製品開示が遅れているのと、アンドロイドとchromeOSとのアプリ整合性が近いうちに付きそうな気配ありとかで新製品遅れているのかな、もう少し待っていようかなと思っていた矢先に壊れちゃったのよ、でした。

 

まあボチボチとネクサス9を整備しながら、SIMカードも新しいものに切り替えた方がいいみたいだし、アンドロイド予備も片目に置きつつ、とりあえずは新製品のお楽しみでいいか、そんなぐあいです。

 

 

 

 

 

ガルパン Blu-ray

もう何回も見ているのだけど、それでも自宅視聴ではそれなりの楽しみ方があり。

一時停止なりして途中で席を外せるのが良いですね。

 

この場面はどうなんだと、停止画面を熟視できるのもgood。

学校を追い出されてから廃校に一時住まいするとき、川でアンコウ釣るとか言ってたチームが、再選決定時には変にサバイバル能力が特化していそうな画面。

 

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魚をいろいろ釣って干物したりするのはともかく、でかいカエルを二匹持っているのはどうするのか?

テントの変化は何故?

彼女達は、なにを目指していたのだろうか?

 

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ジェットコースターのイタリア組は挟まれていたのにどうやって危機を脱したのか?

追われていた戦車を先の釣チームが撃破していたんですね。

また大学選抜TOP3人がドラフトして戦ってく場面は、やっと正確に理解した気がします。

しかしそのあと、川沿いに並走して戦っていたりする場面の対峙かんけいなど、まだ良く判っていないかも。

 

閉鎖された遊園地に転進していくときに、遊園地の全景が映し出されたけど、これはホントに停止してマジマジと見入ってしまった。

最終決戦はど真ん中だったのかとか、位置関係を改めて感心したり確認したりです。

 

それでも良く判ってないので、誰か敵味方の遊園地の進行図を矢印付きで、➡➾とかで図面つくってくれないかしら。

 

 

ガールズ&パンツァー 劇場版  11月28日

http://oidon00.hatenablog.com/entry/2015/11/28/200027

ガルパン 二回目          12月12日

http://oidon00.hatenablog.com/entry/2015/12/12/203344

ガルパン4DX             2月27日

http://oidon00.hatenablog.com/entry/2016/02/27/181741

とりとめもなく、杖・ボルサリーノ・鶏

少し前、古い百貨店をブラブラしていたら、『杖』売り場が片隅にあった。

 

お年寄りが突く杖、である。

よくみかけるプラスチック製とか軽量鉄製ではなくて、木製が主なるもので把手に凝ったものがあったりして高級品の品揃え。

老人になったら、こういう杖を突いてbarに飲みに行きたい。

 

で見ているとブランドが、ボルサリーノ、とある。

帽子のブランド。

最近では、麻生元総理がコートにボルサリーノ帽を被った写真がギャングのボスのようだとして有名。

紳士服の身の回りアイテムを作っていたブランドなんですね。

知りませんでした。

 

 

先日の事、ハイキングがてらに奈良天理の石上神宮に行った。

 

このあたりは他にも、春日大社に統合されも前の、古びた神社がそのまま古る侘びて残っていたりします。

ハイキングは歩きすぎて筋肉痛と足裏が腫れたりしてしまったが、そのときの石上神宮での1枚。

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立派な鶏が放し飼いにされていて、長閑なモノでした。

全身真っ黒の鶏なんてのもいました。

 

山野辺の道、の起点となる神社です。