NHK漫勉、豚、スタインベック、最近コミック、そんなとりとめもなく
スタインベック読んでいたら、農家の話で豚を屋外で放し飼いにしていたのだが、開いていた玄関扉から豚が家の中に入って、その家に寝かしていた赤子を食べてしまった、というのを読んでいたのだが、先日NHKで漫勉の三宅乱杖女史の回を見ていたら、ペットに丸々太った豚を飼っていて、でかい図体の割に小さくピーと鳴いたりして可愛いのだけど、スタインベック思い出して思わずドキリとしました。
三宅先生、大事なものを食べられないよう御注意を願うばかりです。
ちょうど少し前に、アメリカの有名な作家のファンタジー系の本を読みはじめていたのだけれども、そこでアメリカの荒野を彷徨う場面が長くあって、同時にたまたまスタインベックをちょっとめくって見ていて、そのfantasy文章をスタインベックの怒りの葡萄冒頭のアメリカの大地と村の描写とを比べたら、ベックの圧倒的な事実の裏付けある世界観に圧倒され、ファンタジーが薄っぺらいものに見えてしまい、スタインベック読書に切り替わってしまった次第。
でも大冊だから、読みきれるかどうかわからないけど、少なくとも難解な文学では決してないよう。
こんな世界の下地があるからこそハードボイルドが生まれたと納得させるような文章。
農民が大資本のトラクターに追われる資本主義前段の原論が人の姿で平易に、しかし圧倒的な迫力で語られる。
NHKで漫勉ですけど、視野の狭い人間にとっては色々とコミック界の幅の広さを教えてくれて、この番組はありがたいものです。
最近読んだコミックでは、まあみんな超メジャーですけど、まず闇金ウシジマくんのフリーエージェントくん篇30-31-32巻。
ホリエモン絶賛だけあって、このフリーエージェントくん篇は面白い。
現代への切り込みが秀逸。
マルチ商法とかネズミ講とか一口でいうけど、現在のバリエーションはこうなっているのかと、変わっている点や変わらない構造に感心したり唸らされたりです。
新聞記事や週刊誌等の文章だけでは中々この世界のリアルな感じは伝わらないだろうなと思います。
なにわ金融道とは格が違うという感じ。
研修医なな子、病院ものでブラックあり内輪ネタありで無茶に面白いのだが、アニメ化するには、色々と差し障りを考えて出来ないんだろう。
私もちょっと前まで病院に日参していたので、よけいに感じが解って面白い。
そのままシンプルにアニメにしたら絶対面白いだろうに残念。
全然古くないです。
昭和元禄落語心中、アニメと受ける感じが違うのに驚き、軽妙さと洒脱さが堪らない。
しかしアニメは、よくもリアルの匂いと佇まいを立ててみせたものだ。
コミックもアニメにも改めて感嘆。
アニメ二期に大期待。
劇場版 聲の形、なんばパークスシネマ にて
特筆すべきは中盤までの独特のテンポ。
リアルタイムでもなくダイジェストでもなく、対象に触れては離れといった距離感。
聾唖という題材が題材だけに下手に近づくと、良くも悪くも痛い痛い場面だらけになる。
この辺りの原作を材料としての映画の捌き方は一流の腕前。
加害者と被害者という単純な片付け方でなく、傍観者や善意すぎる言葉・偽悪な振る舞い・身内親族の無力感と押しの強さ・自己愛からの自分を守りすぎる悲鳴そんな数々を、裁くのではなく非難するのでもなく、人とはそういうものなんだというヒューマンな視点が一貫している。
これが二時間あまりの長時間を安心して見ていられる要素の一つ。
といっても優しいだけの物語ではない。
子供の現金な人間関係の推移や、物事の結果が確定してから初めて厳しい態度に出る男性教諭に対する作者の眼差しは厳しく辛辣。
花火の場面は美しかったですね。
花火の拡がっていく火輪と同時に火薬が爆発する不穏な音も拾って、よけいに綺麗が際立ちました。
そしてトータルとしてこの映画、主人公とヒロインが被る波乱は、その感情も含めて、批判したり同情したり免罪したりでなく、人と人の交差して重なる軌跡なのだ。
それは正しくドラマというべきで人間を感じることができるものだ。
映画は原作と別物だろうが、そこにある心線は画面の中に根を下ろし美しい花を咲かせたかのようだ。
とても、いい映画を観れました。
映画 聲の形 オリジナル・サウンドトラック a shape of light[形態A]
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原作者は本作で名前を不動のものとしたが、名を世に知らしめたマルドゥック・スクランブルの作画とアレンジも忘れがたい。
マルドゥック・スクランブル(1) (週刊少年マガジンコミックス)
- 作者: 冲方丁,大今良時
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χの悲劇 (森 博嗣)
すべてがFになる、のある種の後日譚ともいえる話で、主人公が島田文子。
マガタ研究所にいて、モエと一緒にビリヤードしたり、スクール水着を着てインナーbox端末?にも一緒に入っていた研究者です。
モエは虎ビキニでした。
アニメでは普通人の普通っぽい顔が逆に個性的に見えて、島田文子嬢を覚えている人も多いでしょう。
マガタ研究所の事件のあと、いろいろあって香港で電脳にかかわる仕事をしています。
メイン主人公のモエ嬢の周囲にも散発的に数々の事件があり、それらの一部には島田氏とも浅い関係もあったようです。
香港でのイベント会場において、島田氏はある公的な人物から接触を受け、接触の意味がつかめないままの数日後、ある殺人事件に巻き込まれます。
ミステリーがメインであるような無いような最近の森作風ですが、これは結構まともな理解が決着していました。
また、ミステリーや人にかかわる風景や背景に力点があるので、今回は島田氏に持ち込まれた仕事、ある場所に隠されたデータの探知と発掘と移動なのですが、作者森氏のことですから資料を調べ上げて書いたものではないでしょうが、非常にスリリングで面白かったです。
多分ネットとか電脳にかかわる知識と理解が、作者は私などとは根本的に違うのでしょう。
この作品においては、すべてがFからの一連の連作においても大きな一歩があったように思えます。
このギリシャ文字シリーズは全く読んでいなかったのですが、興をそそられて初めから読み始めてみました。
初期以降の氏の作品、コンパクトに一定枠にキチンと収まった数多くの長編群については、私はあまり読んでいませんでした。
読んでみると、これらはこれらで面白いです。
ですが、すべてがFになる、からの長編10冊の集団からと比較しても、いわゆる物語の首尾一貫性というか長編一つとしての完成感を放棄して、求められるものをそれなりに書いておけば、謎解きや動機は背景の描写のようなもので、判る人には解ればいいんじゃない、判りたいpointは一応書いときますね、というスタイルは、一面ちょっとどーなんだろなとも思えます。
それでも面白くないわけでは無いので、モエやサイカワ先生や新しい学生キャラのぐだぐたとした掛け合いはfanの求めるものだろうし、まあこんなものなのかなとおもっていた。
そういうこれまでのギリシャ文字シリーズとは違って、このχの悲劇 (森 博嗣)はまともな感じがします。
すべてFシリーズの大半読んでいれば、これだけでも中々に面白いと思えます。
多分クイーンのxyz悲劇のリスペクトによるものだから、あと2冊はあると思いますが十分これらも期待できそうです。
島田嬢の運命やいかに、という本作なのですが、いろいろと含みも多くて楽しめました。
おすすめ。
金色機械 (文春文庫・恒川 光太郎)
著者は今まで、遠野物語から派生したような瑞々しく且つ現代風な奇譚幻談といった作風であったが、そんな今までのスタイルと比較して、若干エンターテインメントに舵を切ったかと思わせる歴史fantasy。
物語が一本の力強い線にように読者をグイグイと引張り、別の章では別の新しい線がすーと引かれたかと思うとこれもまた引きつけてくれる。
そうした色んな線が過去現在に分かれていつの間にか繋ぎ合わさり、終盤で大きな太い線になる。
ストーリーのかんたんな紹介で言えば、江戸以前か昔々の隠れ里に、なぜかスターウォーズのC-3POの金色の身体が祭られている、という感じで、絶妙な不思議さをみせます。
『 時は江戸。ある大遊廓の創業者・熊悟朗は、人が抱く殺意の有無を見抜くことができた。ある日熊悟朗は手で別の異能を持つ女性・遙香と出会う。謎の存在「金色様」に導かれてやってきたという遙香が熊悟朗に願うのは― 』
しかし、この作者は隠れ里といった古潭・奇譚を書くと独特のリアリティがあって面白い。
いままでも隠れ里っぽい話はあったけど、今回は又一味違うもの。
第67回日本推理作家協会賞受賞作と、伊達に受賞しているわけでは無い、それもあります。
京都、烏丸御池あたりで
年に1回の友人達との宴会旅行。今回は地下鉄、烏丸御池あたりで宿泊。
青色の無いLawson。
お茶のペットボトル2ℓ 購入。
ホテルギンモンド京都、こじゃれた落ち着いたホテル。
チェックインアウトがやや時間的に窮屈なのが難?
アウトが9時半。
まあ、気にならない人も多いでしょう。
和食の朝食はトレイで定食風にサーブされますが美味でした。
夕暮れの京都、幹線道路。
ホテル横の小さな神社。
晩飯場所はあれこれ探したが、結局ホテル近くの和食、亀甲屋で食事。
和食なれど今風のアレンジもあり、選んで正解でした。
此の後〆でラーメン屋、珍遊三条店へ行きました。
写真無し。
普通っぽい、地に足の着いたラーメン屋という感じで良かったです。
翌日はイノダコーヒ 本店へ。
砂糖ミルクがデフォのコーヒーが有名ですが、苦みがしっかり効いているので嫌味なく飲めます。
繁華街から離れた普通の街並みっぽいエリアですが、逆に落ち着いていて良かったです。
おしまい。
君の名は。 TOHOシネマズなんば、にて
月1日が安くなる日と気づかずに行って、人の多さにビックリ。
君名も九割方の入りでした。
新海誠の過度に詳細な美意識に淫することなく、物語性に力強くシフトしていたことに驚き。
音楽ビデオと言われれば確かに、サビでそんな感じだからその通りだが、ベタでくどくなる処を上手く音楽で流しているのも事実。
話の流れや展開に破綻がないのも、これだけ曲芸のように奇抜で尚ベタでもあるストーリーであることを考えると又々の驚き。
ところで『ずれ』のトリック?があったが、あれは絶園のテンペストから影響受けたのだろうか?もっとも私は知らないけれども、更に原型となる物語があるのかもしれんが。
言葉の比喩の力強さ、言うまでもない絵の絢爛ぶり、そして敢えて物語にシフトし切ってしまうのではなく、新海誠のお馴染みの擦れ違いの叙情に戻って来るところは評価が別れるかもしれないが、私はいいじゃないかと評価したい。
まだまだ新海誠は一部受けのマイナーな作家だった。彼は今回ここで、得意ボールを満を持して投げたのだ。
周到に時間をかけた脚本は二時間弱を飽きさせないし、実写とは異なる美しい自然や都会は、ほれぼれと堪能するほどの出来です。
大ヒットを祝いたいデス。
『星を追う子ども』だったでしょうか、シュナの旅の出来損ないのような映画から、よくここまで持ち直して自らを止揚してみせたものです。
夏風邪 点滴
連日の猛暑でとてもだるい。
熱でもあるかと思って計ると平熱。
寝付きも悪い。
又熱計ったら36.9度。
安静にしておこうと酒も飲まずに休んで1日過ごしたら、37.2度。
困ったもんだと、もうクーラーで安静しかない、と土曜日も慎んでいたが、
土曜日の夕方には38.0度。
もうしんどいし、病院に見てもらった方がいいだろうと、行き付けの病院に時間外だがいいか?と問い合わせると、いろいろと沢山のやり取りの後先生に聞きに行ってもらってOKがでたので車で病院に走らせる。
もっとも、行き付けと言っても、地域の時間外診療割り当てがあるので、内科の当番が違う病院だったら初めから不可であった。
患者はほとんどいないが先生・看護婦・技師もほとんどいないので、それなりに待つ。
入院患者の対応・検査はやっているよう。
口の中を見て、胸の問診聴診、背中も。
念のためにレントゲン。
夏風邪とのことで、脱水症状もあるから点滴も打つ、とのこと。
1時間15分かけて点滴。
最初は暑くてかけ布団を置いていたが、点滴で体温が下がって来たのか寒くなる。
布団をかける。
点滴はじわじわと効いてくる。
喉の渇きにも奥の奥から効いてくるよう。
帰って簡単な夕食。
薬を飲んで就寝。
ここ数日から外気4度ほど低い夜。
久しぶりにクーラー無しで眠れ、点滴と薬のおかげで数日振りによく眠れました。
やれやれ。
嵯峨野明月記 辻邦生
《 〈嵯峨本〉は、琳派の本阿弥光悦、絵師の俵屋宗達、商家の角倉素庵、の工夫が凝らされた歴史的書巻にして豪華本。
17世紀、織田・豊臣氏の壊滅から徳川幕府が政権をかためる慶長・元和の時代。
戦国の世の対極として、永遠の美を求めて〈嵯峨本〉作成にかけた光悦・宗達・素庵の献身と情熱と執念。芸術の永遠性を描く、壮大な歴史長篇。 》
直線的な物語ではなく、イメージや心象と現実事象を交互に繰り返し、文字通り余白の余地もなく話が語られる。
著者はかつて『安土往還記』において扱った信長周辺の時代について、芸術と人間というテーマで更に切り込む。
戦場記録のような為政者の視点ではなく、道々を武者行列が通り、遠く山の向こうで合戦のどよめきが聞こえたり、京都から非難する民衆の姿とか一人の町衆の視点が斬新。
この小説には改行が無く余白が乏しい。
しかし喚起や余韻の響くべき余白は読者の心の中にあると言わんばかりの充実。
「美」「芸術」「創作」「実業」「女性」「王朝」「書」「絵画」の錯綜と収斂。
細部の美しさ。
感想印象だけなら何のことだが判らないかもしれないけど、いわゆる戦国時代を芸術家や町人視点から描いた歴史小説。
正しく、絢爛とした安土桃山時代の一断面でしょう。
人物の行動を線や曲線にして物語を描くのではなく、数々のイメージ・風景・エピソードを重ね合わせて物語を型造っていく。
感想というか直ぐの印象だけど、これはエンターテインメントでもラノベでも大衆novelでも無理だろうな作品で、狭義の『文学』でなければ味わえない読後。
いわれる歴史小説家には描くことの無かった風景。
静かに幕は引かれるが、物語冒頭の3つの語りが半エピローグにもなっていて余韻が広がる。
この作品についての感嘆を、うまく言葉に出来ないのがもどかしい。
腰が痛くて整骨院へ
家の片付けとか庭の草引きのお手伝いに行ったりしてたら、左腰が痛くなっていた。
突っ張ったような、左腰を曲げると痛いような、特に床に寝た状態から起き上がるのが一苦労。
あちちアタタおうおう、とか言いながら、体勢を変えながら起きないといけない。
徐々には良くなる感じもするが、簡単には収まりそうにないので整骨院に行くことにした。
盆休みに入ると行きたくとも行けないし。
ベッドに右向き横に寝る。
院長による触診、といっても院は院長一人でやってる。
個人でやってる所では予約が機能している。
ふつう病院のようにで2~3時間待たさない。
骨盤補正を時間をかけてゆるゆるやってくれる。
バキバキ押したり捻ったりしない。
そういうのとは流儀が違うのでしょう。軽くシッカリと押す、摘むと言った程度。時間はかける。
痛い部分ではなく腰骨中心部分の手当。
その後、大きな吸盤状のものをペタペタ腰に貼って電気をかける。
電圧により徐々にブルブル震えてくる。
結構強いブルブルのまま十分以上?放置。
刺激は強いのですが、途中で寝てしまいそうになります。
タイマー音がなって吸盤を解除。
次は腰をカイロ状のもので暖かく包んで、左手は腰上で握って伸ばす姿勢に。
そこで左手拳に小指の下あたりに置鍼を一本刺して、また放置。
徐々に左手の芯の緊張が解れていくのが判る。
最後に腰にクリームを塗る。
とても熱いですよ、と言われるがホカホカでピリとする程度。
血行が悪いのだろう。
終わってみて痛みが数割方は軽くなったので助かる。
骨盤補正もあるのでれ健康保険は効かない、とのこと。
電気だけなら保険が化きくので、しばらく詰めて通院したらいい、でした。
ベルセルク、コミックとアニメ
アニメ化を期に原作コミックを半ばほど読み返した。
昔読んたときには、話の筋を追うのがもどかしくて流し読みのような感じだったので、今回じっくり読み直して納得するところが多々あった。
アニメ化に対して文句が多いのも、これだけの原作なら思い入れある人は多いし、確かに原作の逐次解説的なアニメ化でないし、メリハリとアニメ文法の違いもあり、苦情はどーしても已む無しかなとか。
でもその一方、フツーのファンにしてみると、というか改めて見返すと再発見は多い。
アニメ最初でエロヒステリーで素敵だけに見えたファルネーゼは、17巻以降の人間性へのシフト、伝奇バイオレンスからトータルファンタジー&アクションへの転換への大きなキャラ役割を果たしているし、このあとの魔法少女投入も含めて、大きなヒューマンドラマに転換していく先駆けでもあったのだ。
実際、物語は前期とは変わり、後半からは人間のドラマにシフトし、それは無理にガッツのキャラを弄るのではなく、魔女狩りの炎に魅せられた貴族の少女、現実に投げ出された孤独な魔法少女を通して、ガッツはふと頷いたり道端で目を閉じて待っているだけなのに、キャラの成長と広がり、新キャラの活躍から世界観が豊かに広がっていく。
かつてSF作家の平井和正が作風を改めたきに、読者の苦情に対して「私は人間の獣性の代弁者だったことはない」と反発したが、ベルセブルグに対しても前期以降の作風の変化についてホノボノ路線に変更したとか批判もあるようだが、そんなものではあるまい。
コミックは蝕まで広げた大風呂敷を見事に畳んで収めつつあるし、異界魔界とのスケール尺の違いも克服しつつある。
こんかい再度読み返して、いままでバラバラ途切れ途切れに読んでいてサイドキャラの再登場とか経過を見過ごしていたのが今回一つにつながって感慨があった。
馬乗り少女が旅の連れになり最近では船旅で師を見つけたのか、とか、鷹のオデコテレパスが魔女子供と楽しくお話ししたりしている、とか。
ガッツでも鷹でもなく、売春婦ルカ達が出たり消えたりするのも興味深い。
まあ、原作に感心すればするほどアニメには?が多くなるが、それはそれこれはこれとして楽しみましょう。
矢場とん くし5本定食 1,134円 大阪松竹座店
名古屋の高級味噌カツ店、で有名な矢場トンの大阪初出店の店。
松竹座はミナミのグリコマークやカニ看板や食い倒れのすぐ近くの歴史ある劇場。
ロース串カツ5本、の定食です。
味噌ソースのかかった串を一口食べて、ああこれは関西に無い味、と納得。
というか人によっては不味い、と言うかも。
甘い赤味噌ベースのエグいようなインパクトが舌先から奥にかけて広がる。
味噌の強さは、これは御飯が進むだろうなと思いながら食す。
串5本といっても結構ボリュウムがあるので不足感は無い。
ミソインパクトも強いし。
白米御飯は御代り自由、美味いメシです。
でも、味噌の存在感は強烈だが、後を引かない。
口の中にベトベトまとわりつく事が無い。
ご飯食べたり、味噌汁飲んだり、サラダ食べてたりすると口中がリセットされて次の一口、一串に進めさせる。
この辺りの味のバランスの取り方というか、ソース配合は流石に有名店になるだけの事はあると感心させられます。
食べ終わって店を出でも、口がミソ味まみれということはなくてサッパリしてます。
例えは変ですが、天下一品のラーメンは普段あまり食べる気にならないが年に一二回食べてみたくなるような変な魅力がありますが、そんな風な魅力はあります。
この味に慣れてくれば、また舌の感触も変わって来るでしょう。
ただ、まだやはり此の味に慣れないので、次来たら味噌ソース抜きで、テーブルのウスターソースや辛しで食べたいという気持ちもあるけど、そんな注文付けたら店に失礼だろうか?
まあ、いずれにせよ出来が良くて美味しいのは事実です。
マニュアルの寄せ集め接客の窮屈さ無味乾燥さでなく、名古屋の地元で鍛えた店員の接客も丁寧で独特の個性を感じさせます。
冷汁ととり南蛮の定食 やよい軒
先日、大阪ミナミの商業ビルで下りエレベーターを待っていた。
エレベーターはいつも空いている事が多い。
この階に来た。
扉が開くと警察官が隙間なく満載で、思わず目を見開いた。
警官はどやどやと出てくるとビル奥の方へ向って行く。
後尾に簡易担架を持つ救急隊員いたから病人だろうか。
でも警官5人以上はいたから、取り押さえる必要のある病状事案か?
いずれにしろ日々いろいろとあるみたいです。
そういえばピルの中で、うなされているような男の叫び声が何度か聞こえたりしていた。
夕暮れ頃から飲みに行く。
飲み終わって〆の飯にやよい軒。
私の後から中国人が9人来て、店員に席を頼んでいた。
中国人もツアーで来るのではなく、家族や親族一同で街中を歩き回って、やよい軒とかコスパに優れた店に普通にいるようになってきた。
喫茶店の英國屋でモーニングを頼む中国人一行もよく見かける。
かの国の浸透力は侮れないものがある。
オーダーは、冷汁ととり南蛮の定食。
冷たい味噌汁に、アジの焼きものとトリ南蛮-かんたんフライと言ったところか。
味噌汁にごく小さな氷が数十入っている。
氷が解けても味が狂わないように仕上げているのは流石。
酒を飲んだ後、火照った内臓に冷たい味噌汁をひやひやごくごく飲むのは、腹に浸み渡るようで良いものです。
ざるそば大盛や吉野家の麦とろ御膳だけでなく、夏の定番が増えそうです。
村上春樹 2冊。
ひさしぶりに村上春樹のエッセイを読みたくなって、未読のものを購入。
一時期つれづれなる時は、村上春樹のエッセイばかり読んだり読み返したりしていた。
村上ラヂオ
まぎれもなく氏のエッセイなんだけど、なんだか物足りない。
内容も特に他エッセイと変わっている訳でもないが、一篇の文章が短い。
連載枠の制約だろうけど、ハルキらしさが漂ってくる前にアッサリ文章が終わってしまう様で、食べ足りないような不満がややあった一冊。
次に、村上春樹 雑文集。
これは面白い、というか読み応えがあった。
実はまだ読んでいる途中なんだが、そんな感じ。
過去から今まで書き散らしていた文章で、単行本に載っていないものをまとめたもの。
そういう成り立ちの雑文集、エッセイに近いものかと承知していたので、実はあまり期待していなかった。
面白いものだったら、既に本になっているはずでしょ、という推測から。
実際読んでみると、内容は他人の本のために書かれた解説文・推薦文、依頼があって書いたが雑誌の方針とちがったため未発表の文章、各賞受賞あいさつ、ジャンルの違う雑誌に単発的に書かれたもの・聞き書き、等々。
つまり一つの集中したカラーに括れないもので、結果として本にならなかった文章。
だから村上fanにとっては、これらは却って面白い。
内容が多彩なのだ。
普通の村上エッセイが、氏の文章芸の中でグルグル廻って完結するといれば、例えばその結果として小確幸落ちになったりヤレヤレ落ちになったりしているとすれば、この雑文集では他の事象との関わり合いにおいて作った文章。
だから他のエッセイ類に比べて、いわゆる『春樹臭さ』が希薄。
それだけ多彩な内容、ということ。
そして内容も時系列も多彩で、なおかつ氏の文章の個性は色々な場や時間においても、やっぱり村上春樹の文章であって、本としての纏まりが無くなることはない。
冒頭近く、カルト宗教の物語と文学の物語の違いに書かれた文書など、氏のオウムノンフィクションの解題としても、春樹氏自身の物語論としても極めて興味深かった。
音楽関係では、黒人差別とユダヤ人と日本人ジャズ観衆について歴史も踏まえた記述とかもある。
挨拶関係では、初期の気の抜けたふざけた感じは中々良い。
例のイスラエルでの卵と壁のスピーチ、これは私は余り感心しなかったのだが、あえて政治的メッセージを発しに行っているように思っていた。
だが報道で読むところでなく、解説文とスピーチ全文を読むと、氏としても苦渋の決断だったことがわかる。
氏は海外の読者については極めて積極的にマーケットにアプローチしてきたので (日本の陰湿な文壇や出版業界に嫌になったのだろう)、海外読者に直接意思を伝える場を放棄することは自分に納得できなかったのだ。
その結果は、やはり私的には?だけど、氏の決断と行動の果敢さは理解できた。
というわけで意外に実に?充実した一冊で、オススメです。
土曜日にbarに行く。
Barに行くのは大抵平日。
早い時間帯に行って、2.3杯飲んで帰る。
近くでラーメンか丼でも食べて〆、とする。
最近は吉野家の麦とろ御膳が多い。
土曜は家の用事をしていることが多いが、たまにつれづれのひねもすで、barで時間を潰したくなることもあった。
年に数回くらい。
でも数年前に行き付けのbarが閉まってしまったので、もう3年は土曜barは無かった。
この2年余りで、いろんな店に飲みに行って見て、ようやく数店のローテーションに落ち着いてきた。
土曜日、店に入ってみるとカウンターには女性ばかりが座っていた。
初めての店だったらビビるところだった。
知っている店なので、構わずカウンターの端で飲んでいた。
少し窮屈に思えるのは別に気にするほどでもない。
ただちょっと気になったのが、小さな声でヒソヒソ話して何かわからないのだが笑い声が時々喉に潜ったような声でワッと聞こえる。
そういうのが割と繰り返される。
その店は声を潜めて話すような店ではないので、割と違和感があった。
行き慣れた店でも、土曜日はまた雰囲気が違うので、また時間帯を変えて行って見るのも面白そうでした。
角のハイボール。
サンドイッチ。
土曜日午後の散財でした。