王政復古 井上勲 著
江戸幕府を廃止して明治維新の口火となった慶応3年12月9日の政変・御所におけるクーデターについて。
翌年すぐに鳥羽伏見の戦いが生じる。
維新謀略のクライマックスなので前々から詳しく調べたいと思っていた辺りの良書。
個人的には個人個人の詳しい動向を知りたかったのだが、そうではなくて学者著作なので、新書といえどもそれなりの歴史的意味を探るアプローチだが、面白かった。
当時における常識的な革命?的な落としどころは、維新側でも幕府側でも天皇の下による藩体制を継承する二院制。
藩主が議員となる上院、と藩の事務方代表からなる下院。
この二院制が妥当なところであって、最後の将軍が全国藩主代表に招集をかけたのだが、当時の政情不安を各藩が考慮して、結果皆日和見して朝廷の呼びかけがあっても招集に応じてこなかった。
でも、此の本には書かれていないが、曲りなりだが、この二院制体制に近い会議は1日だけ辛くも成立している。
クーデター前日の長州処分案の是非を問う御所会議を、各藩の京都代表総勢に諮問して、各藩意見具申の上に会議にかけて夜半に決している。
もし、このシステムが無事に成長していたならば、武士身分は後数十年は生きながらえたかもしれない。
しかし翌日の小御所会議にて体制自体が根幹から引っ繰り返る。
色々と詰めた考察もあり、倒幕の密勅についてもハッキリと忌憚なく書いて納得させる。
面白かったのが、当時の明治天皇に密勅の伺いをたてる役の中山忠能。
国の形を変えるような余りに重大な役目を、自分と天皇の信頼関係で処理してしまうことについて、『みんなお前が勝手に決めて、日にちは延期してくれ』と岩倉具視にクレームを入れているところなど歴史のリアルを感じる。
それを受けて岩倉具視はもう決行前数日になっていて巨大な流れが出来ていたこともあり、『勝手にしたいのなら勝手にしたら』と突き放している。
そのあと中山忠能は、ああ書いたことは忘れてくれと岩倉に書き送った。
この当時、摂政なんかは既に維新味方側で固めていたかと私は勝手に誤解していたが、まだ幕府側貴族が多く、それも含めて、幕府とともに摂政関白廃止という宮廷革命も同時にやったのは、まさに実質的な宮廷クーデターでもあったのだ。
また意外だったのは、数日前には徳川慶喜に薩摩藩クーデターの情報が土佐藩経由で入っていたこと。
しかし慶喜は大政奉還した後だったので身動きが取れなかったという皮肉。
それでも原市之進のような優秀な部下がいれば何らかの手は打てたかもしれないが、優秀な部下は皆幕府側の人間によって暗殺されてしまっていた。
このあたりが維新で一番面白そうなのは事実なのだが、なぜ詳しくは小説になりにくいのかは、それは小説化が難しいのでは決してなく、日本国家の歴史的根幹が正しく謀略であるからであって、私は此謀略は支持するが、なんというか綺麗でピュアに見えないことも事実で、そんな苦い歴史は、でも魅力的です。
この辺りの詳細については、追っていろいろと読んでいきたい。