騎士団長殺し : 村上春樹の新作を読んでみて。
読みつつメモしたりの、感想を表面的に。
羊をめぐる冒険や海辺のカフカに出てくるような、人里離れた小屋。
妻との突然の断絶。
古い中古車、高級外車。
女性達との交歓。
肖像画制作は『文化的雪かき』か『マジックタッチ』か?
村上作品おなじみの、それも初期中期の、アイテムや設定に私はニヤリと頷いたりした。人によればマンネリだと言う方もいるかもしれんが、まあ違います。
別荘友達と私の関係は、ワタヤノボルと僕の関係を洗練させて昇華させたかのよう。
そしてじわりじわりと徐々に奇怪な事が起るのだが、このあたりのリアリズムは大したもの。
プロローグや合間に伏線や予兆をはっているにせよ、元になった古典上田秋成の選択も含めて、長い時間と経過の逡巡と戸惑い、これを退屈させずに読ませる筆力。
これはやはり一流の小説家ならでは、でしょう。
そして奇怪な事件がはじまりそうでも、主人公はオリーブオイルとニンニクでトマトソースをつくっている。
これは書き下ろしで連載小説ではないのだけれども、連載小説的手法、時系列進行とは別に回想からのエピソードとか、そうではないかと推測したりも。
奇怪なことは、この小説では事件というよりも、同期性というか平行して日常と在り続けるように、根差したもののように表現される。
1巻末あたりまでくると、別荘友達と私の関係は、ワタヤノボルと僕の関係とは違っているのに気づく。
ワタヤとは対立であり敵対であったが、別荘友達とは対峙してるが二人で共犯めいてもいるし、行動で言えば、ねじまきでは僕は井戸に入って耳を澄ませたが、今回別荘友達が井戸ならぬ穴に入って、逆に私が穴の中を見守ることになる。
この変化は面白いし、別荘友達は『有り得ただろうまた別の僕』かもしれない。
人里離れた山の中の別荘で夜酒を飲んで、車に乗って来たからと言ってタクシーを呼ぶ場面があったが、帰る先も近くの別荘山中なのに、とうてい警官がいる訳でもなく、その社会正義にたいする配慮には笑ってしまった。
まあ、いったん国道に出ないと廻れないのかもしれません。
また、物語に途切れが無い。
不思議を投げっぱなしにしていないというか、もちろん説明できない不思議はあるけど、そこを過す人の経過を十分描いている。
それら含めて、読み終わって、たいそう面白かったのだが、ここで村上春樹が目指したものは何なのだろうかと問いが浮かんだ。
私には、『今までの村上春樹ストーリー』と『ごく普通の物語』の融合と相乗、村上春樹らしい飛び道具?に頼り過ぎない一つの志向、のように思えた。
そしてそれは、互いをを損なうことなく成功しているとおもう。
中身の芯ではなく表面的なカンソーです。
宗教に傾いた父親、顔のない肖像画、お守りペンギン、別荘間恋愛と親子関係の行方と、騎士団長殺しには続編の書けそうな要素は残っている。
しかし書くとなれば3.4巻と分量かかりそうな気もするし、イデアとメタファーの関係が無くして物語の続きは有り得るのかという疑問もあるし、そんなの書かないで10年後くらいに思い出したように一冊続きが出るのも相応しい気もする。
どうだろうか?
本作が文学でなくエンターテイメントだという評もあるが、それはそれで結構な評だと思う。本作よりコンビニなんとかの方が面白いともあったが、それもそう、大ベストセラーになるとこの程度はもちろん、実際は山のような膨大な読者がベストセラーとかノーベル賞とかに引き寄せられ、読みたくもなく興味もないのに本を読むことになる。
初版は130万部というから、そんな人は10万人では済まないでしょうね。
そこで疑義百出の阿鼻叫喚のレビューになる訳だが、まあご愁傷様です。
BOOKOFFとかヤフオクにでも売って供養してあげてください。
昔風に言うのなら純文学か大衆小説か、今ならノーベル賞かライトノベルか?
一人一人ががどちらでも良いといのは別にしても、その枠組み自体、分類差別構造自体が半ば崩れている。
ともかく、久しぶりに村上春樹を堪能できて満足でした。