京都の古本屋で
今年の初めだが、京都の古本屋で一冊買ったのだが、全く個人的なことで驚いたことがあった。
よく知っている本なのに、未だ買っていなかった、まだ全部読んでいなかったのかと。
昔、パソコンもスマホもタブレットも無い、もちろんネットも無い時代、夕刻か夜のはじめ一日が終わったあたりは、必ず帰り際に道すがらの本屋へ寄って時間を潰した。
ほぼ毎日だったろう。
でも毎日行くとねぇ、何でも見てみたいという言葉はともかくとして、実際に手に取る本は限られるというか、結局買う買わないにしろ同じような本ばかり、むしろ同じ本ばかり本屋の棚から取って立ち読み流し読みしたりしていた。
そういう本の一冊で結局買わなかったのだが、その後の読書傾向というか指針には大きな影響を与えている。
今明治維新関係の本を多々読んでいるのは、司馬遼とかの本の影響もあるけど、この著者の影響も大きい。
その本が立ち読みだけで、5%ほどしか読んでいなかったし、実は買ってもいなかったのが驚いたと、ホントにパーソナルな話。
この著者、知られている所では、司馬遼の文春文庫『酔って候』の解説も書いてる。
一時期、『酔って候』の本文よりも解説ばかり読んでいた時期もあった?
だからどうとかと、全くなんでもないハナシ、です。