京都でアニメ映画見る。ラノベ一冊。
元々のスタイルが人の交わりに参加せず、同調せずに高みの見物で見下して、でも自分の無力さは知っているから流されるままに流されて、自分の脳内と家族と缶コーヒーだけに幸せを求めていた比企谷八幡だった。
しかし巻を経て、人との関わりが生まれ、繋がり、遂には『本物が欲しい』と言い、宣言するに至った。
こうなると今までのような、人の裏をかくような立回りや、毒には毒を持って制すみたいな行動も取り難くなる。自他ともにせせら笑うような饒舌も『本物』との均衡を求められることになる。
それはシリーズのウリでもあり魅力でもあったものの否定にもなり、多分作者はそうとうに苦慮したのではないかと、かってに推測したりする。
この巻において物語が淡々と進み、今までのようなあざとさがない。
作者は軌道修正になんとか成功しているよう。
キャラの活き活きとした姿がそのアカシ。
劇場版 響けユーフォニアム 届けたいメロディ。
商店街の一画にある映画館。
一部の上映が、道を隔てた隣ビルでやっているので初回の人は注意。
見たいアニメをもう一度見せる、見たい場面を見せる、見たかったように見せる。
この塩梅が上手い、さすが京アニ。
よくあるアニメダイジェストのように、全部あるけど全部中身が無くスカスカなんてならない。
久美子と田中アスカに絞った劇場版は、二重丸を付ける出来。
田中アスカというキャラが、これが隠し玉にして大本命だったという作品のせいもあるが、
再構成の繋げ方、
大胆な使い回し、
適切で目立たない新カット、
改めて京アニの腕の高さには感服です。
みぞれ等の本筋を大きく略しているので、
アスカ邸での背景開示と共感のあと、
校舎裏での久美子の再説得アプローチに対する、アスカの久美子人格への鋭い逆襲が、
これがやや弱くなってしまったのだが、
でも、その後の久美子の再逆襲が森も木も薙ぎ倒すほどの声力?で、心を揺さぶる。
特典って普通に売られてるんだ・・・高価。
映画見た後、木屋町の昭和っぽいBarで酒。
年寄りの多いゆるい空気。
あてにコンビーフ。
飲んだ後に四条通りに出る。
気の抜けた緩い空気のなかから、国際観光都市キョウトの雑踏に紛れ込むと、その落差に軽いカルチャーショック。
ジョギング途中の白人女性が信号待ちしてたが、脚や尻のラインが丸出しのタイツを穿いていて、しみじみグローバルだわなぁとか思った次第。
寺町通の小さな店でつけ麺。
7人席程度の狭い店。
若い中国人カップルと私の3人。
こういう小さな店が散らばって在るのも京都の魅力か。
おしまい。