嵯峨野明月記 辻邦生
《 〈嵯峨本〉は、琳派の本阿弥光悦、絵師の俵屋宗達、商家の角倉素庵、の工夫が凝らされた歴史的書巻にして豪華本。
17世紀、織田・豊臣氏の壊滅から徳川幕府が政権をかためる慶長・元和の時代。
戦国の世の対極として、永遠の美を求めて〈嵯峨本〉作成にかけた光悦・宗達・素庵の献身と情熱と執念。芸術の永遠性を描く、壮大な歴史長篇。 》
直線的な物語ではなく、イメージや心象と現実事象を交互に繰り返し、文字通り余白の余地もなく話が語られる。
著者はかつて『安土往還記』において扱った信長周辺の時代について、芸術と人間というテーマで更に切り込む。
戦場記録のような為政者の視点ではなく、道々を武者行列が通り、遠く山の向こうで合戦のどよめきが聞こえたり、京都から非難する民衆の姿とか一人の町衆の視点が斬新。
この小説には改行が無く余白が乏しい。
しかし喚起や余韻の響くべき余白は読者の心の中にあると言わんばかりの充実。
「美」「芸術」「創作」「実業」「女性」「王朝」「書」「絵画」の錯綜と収斂。
細部の美しさ。
感想印象だけなら何のことだが判らないかもしれないけど、いわゆる戦国時代を芸術家や町人視点から描いた歴史小説。
正しく、絢爛とした安土桃山時代の一断面でしょう。
人物の行動を線や曲線にして物語を描くのではなく、数々のイメージ・風景・エピソードを重ね合わせて物語を型造っていく。
感想というか直ぐの印象だけど、これはエンターテインメントでもラノベでも大衆novelでも無理だろうな作品で、狭義の『文学』でなければ味わえない読後。
いわれる歴史小説家には描くことの無かった風景。
静かに幕は引かれるが、物語冒頭の3つの語りが半エピローグにもなっていて余韻が広がる。
この作品についての感嘆を、うまく言葉に出来ないのがもどかしい。