結城友奈は勇者である、または傷の片鱗
安易な奇跡を使ったように見えて、見ている者には消えない傷と不具の物語に見えた、のではないだろうか?
確かにお手軽な奇跡があって幸せになった。
それでいいとおもう。
しかし眼帯や無声やベッド包帯少女の縮んだ姿を、それで忘れることができるだろうか?
奇跡後でさえ、ダメ押しのように虚ろに目を開け続けるヒロイン。
ひとの傷の一面を晒した、そんな意味アリでは。
最初は作品スパイス的に身障を取入れたアニメかと。
4人グループはちょうどいいので、車椅子を持って階段上り下りするには最低3人の補助が要る。
車椅子の周辺もそこそこ細かく描いていた。
しかしそんな作品ではなかった。
リスクはあったと思う。
身障を安易に扱うとか、奇跡の起こらない現実の障害者を馬鹿にするものだとかいう非難の可能性はきっとあったと思し、事前に検討もされていたとおもう。
それを押して歪んだファンタジーに飛び込んだのはアニメスタッフの果断でしょう。
結城、敢えて指摘するほどでもなく、これは勇気という言葉、それだけの物語かもしれん。
アニメは大成功とは言えないが、それなり確かな印象を残した。
戦闘の結果当然生じるであろう、不具の片鱗を画いたことは記憶に残るだろうとおもいます。