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中二病でも恋がしたい!戀。 ひはん
( ファンの方読まないでください )
結局のところ、見事に一期の御茶を濁してというか、会社的に営業特化した作品で、それでも且、そこそこ見せてくれるのは、腐っても京アニ、大したものだと思う。
一期の終盤、凸守が失われゆく中二病世界に代って叫ばせた、その鮮烈なその痛みに普遍性さえ見えた、1期はその場面において傑作だった。
また教室で六花に、友達になってくださいとクラスメイトに声を掛けさせる、そんな場面が感動なのに辛くて情けなくてやるせなくて見たくないのは、:現実の二律相反の姿をみせて、とても良かったと思う私は。
しかし2期に至っては1期終りから予想がついたように、萌という概念の自己消費みたいな、よくあるアニメ出し物に堕してしまった。
もちろんよくあるから、ちゃんとアニメを作って観る者を掴めば成功だし、概念反芻といっても中二病萌?というのは京アニが自らアニメで創出したから文句をいう筋合いでもない。
そしてヒーローとヒロインに手をつけようもない最低線は判っているようで、七宮という新キャラで色々と肩代わりしてしまった。
でも所詮は代演である。
メインキャラの感情発展のボルテージが、一期で頂点に達して終ってしまったが故の代演。
いろんな形での現実へのアプローチを常に探って来た京アニなのに、こんなの寂しいなと、思っただけですが、こんな文を書いてしまった。
全話見なおすも、初見に優るとも劣らない面白さ。
特にシリーズ後半、プラウダ戦の雪原の暗い戦いから、最終の姉妹決戦への転換とポテンシャルの高い維持調整具合は大したもの。
キャタピラの外れ具合のリアリズムなんて、良く調べてるんでしようね。
最終話の迫力と手に汗を握る緊張感。
戦車の接近戦という、近代では考えられないジャンルを歴史から抽出、見直し、再構築して創出してみせた水島監督に敬礼。
輪るピングドラム #01話「運命のベルが鳴る
穏やかな家庭ドラマが静かに崩壊する戦慄に震え始め、場面の構図の力強さに感心する。
突然圧倒的なファンキーさで呆然とさせ、禁断の毒で〆る。
再見しなければ伏線とかも満足し切ることはできない構成、だから尚唸ってしまう#01話