風立ちぬ やっと見る事が出来た
空と飛行機の話ではなくて、もちろんそれが背景だけど、実直なラブストーリーであることに驚き、胸を打たれた。
序盤で関東大震災の場面が少しあって、この辺の魔的な描写は事実に基づいているにせよ、凄まじいもの。
逆に、これだけ震災の迫力と恐怖を描きながら、話を震災ストーリーものに変えなかったの事に感心してしまうほどの出来。
計算尺が出てくるのが懐かしい。
私の亡き父が建築設計士だったので昔昔、図面を画くのに使っていた。
計算尺は昭和の半ばまで、昭和40年代ぐらいか、実用道具だった。
死の病に冒された少女なんて、ありふれたメロドラマなのだけれども、今回はもう、やられてしまった。
菜穂子の顔って、本当に手描きアニメのシンプルな線と形だけで陰影も無いのに、肩ひじ張らずに、短い運命に果敢立ち向かう姿を、これでもかこれでもかと、何回泣かせればいのかと云いたくなるほど見せつけてくれて、でも彼女は決して湿っぽくなくて、その儚さとは裏腹の力強さが、最後には私達に伝わって来て、心が揺さぶられるのだった。
菜穂子がサナトリウムで毛布にくるまってベランダで日光浴する場面なんか、あれは本当にトーマス・マンの魔の山そのままで、こちらで勝手に嬉しくなってきた。
記憶に残る場面は多い。
でも一つ上げるなら、サナトリウムを抜け出した菜穂子と二郎が上司宅で結婚式を挙げる場面。
夜の廊下を歩む花嫁。
夫人の口上の後、障子を引いて披露される菜穂子の姿。
絵が美しいというよりも、もちろん画面が美しいのだけど、それだけでは無くて、その物語のその時の事実そのものが美しくて、息を飲むばかりだった。
また、その前の、駅のホームで菜穂子と二郎が巡り会う場面とか、普通の映画ならそれが一つあるだけで大成功な素晴しいシーンが、この映画ではいくつも散らばっている。
さいごに二郎の妹。
よくある家庭環境を描く添え物としての妹に終わらず、ちょっと二郎に袖にされ過ぎで可哀相だけど、最後には重要な役割を果たした。
この妹は、間接照明のように菜穂子の姿を照らし上げて見せたのだ。
終り近くの妹の泣き顔、あれはトトロの草壁家次女メイが成長後しっかりして帰って来たのに泣いてしまった顔に私は見えてしまって、なんだか成長したメイを見たようで嬉しかった。