明治維新資料とGoogle ブックス
歴史小説を読むと面白くて次から次へと読んでしまう。
他の作家ではどう書いているのかも知りたいし、色んな作家を読んでみると、同じ事件でも随分書かれている内容が違う。
同じ作家だとしても、作品が異なれば違った内容になってる事もある。
司馬遼太郎は史料をほとんど逐語訳にして、小説の中にそのままポンと放り込んでいる事が良く有る。
そんなで、実際の事実はどうなのか。また、何処まで事実として記録が残っているか。小説家達がストーリーのネタとしてる大元は何と云う本・記録・資料なのか。
そんなことを知りたくなって、少し前から時間を取るようにして図書館通いを始め、明治維新関係の一次資料的な書物を読むようにしていた。
その手の資料は、当時の人が書いた記録である。当事者が直接書いた書物もあれば日記もある。
そんな本は歴史のある図書館もしくは拠点的な大きな図書館しか置いていない。
さすがに日記には手を出せないが、当事者の記録や自伝的なものは読み始めると面白い。
そうして色々読みだすと。
100年たって歴史観が進んだとか史料が出揃ったとかで、現在の方がより正しい歴史の見方が出来る――― こういう考えには必ずしも同意はできなくなった。
歴史観などは政治的主張の様なものが多いし、半世紀もすれば史実を引っ繰り返すような史料が出ることなども滅多にない。
100年後の人間が憶測と推測で書くものより、その時の当事者が書いたものの方がリアルなのは当然のことだった。
で、色々じっくりとジワジワと(字体等が古いので)図書館で読んでいたのだが、今年になってから、そんな多くの書物がGoogle ブックスで、すで歴史的著作として無料でスキャンアップされているのを知って―――驚愕した。
ネクサス7に無料でDLして、スタバの快適な椅子でそんな資料を読めるなんて、なんて好い時代になったものか。
図書館の椅子は固かったり角張っているのが多いから、快適な椅子で読めるのは本当にうれしい。
そんなこと思ってます
参考
GooglePlay 会津戊辰戦史
大らかなGoogle ブックス
http://oidon00.hatenablog.com/entry/2014/06/05/215700