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京都の古本屋で

今年の初めだが、京都の古本屋で一冊買ったのだが、全く個人的なことで驚いたことがあった。

よく知っている本なのに、未だ買っていなかった、まだ全部読んでいなかったのかと。

 

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昔、パソコンもスマホタブレットも無い、もちろんネットも無い時代、夕刻か夜のはじめ一日が終わったあたりは、必ず帰り際に道すがらの本屋へ寄って時間を潰した。

ほぼ毎日だったろう。

 

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でも毎日行くとねぇ、何でも見てみたいという言葉はともかくとして、実際に手に取る本は限られるというか、結局買う買わないにしろ同じような本ばかり、むしろ同じ本ばかり本屋の棚から取って立ち読み流し読みしたりしていた。

 

そういう本の一冊で結局買わなかったのだが、その後の読書傾向というか指針には大きな影響を与えている。

明治維新関係の本を多々読んでいるのは、司馬遼とかの本の影響もあるけど、この著者の影響も大きい。

 

その本が立ち読みだけで、5%ほどしか読んでいなかったし、実は買ってもいなかったのが驚いたと、ホントにパーソナルな話。

 

この著者、知られている所では、司馬遼の文春文庫『酔って候』の解説も書いてる。

一時期、『酔って候』の本文よりも解説ばかり読んでいた時期もあった?

 

だからどうとかと、全くなんでもないハナシ、です。

 

新装版 酔って候 (文春文庫)

新装版 酔って候 (文春文庫)

 

  

明治維新と日本人 (講談社学術文庫 479)

明治維新と日本人 (講談社学術文庫 479)

 

 


 

九尾の猫 新訳 ハヤカワ・ミステリ 2015/8/21 エラリイ・クイーン 久し振り読む本格推理!

しばらく前に江戸川乱歩のマイナーのものを色々と読みかえしていたが、

乱歩の香気は感じられるものの、

小説の出来は不出来なものが多かった。

 

九尾の猫〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫) 2015/8/21 エラリイ・クイーン

 

アメリカ小説、当時は1942年で第二次世界大戦後でもあり、摩天楼もまだクーラーが無い時代。
夏の夜になるとニューヨーカーは風を求めて家を出て、車で橋の上に行ったり、地下鉄から出る風を浴びたり路上人口は多い。
そんな当時の風俗も面白い。

 

法則性のない奇怪な連続殺人にクイン親子は悩み、やっと見つけた法則性らしきものも、どう解釈していいか解らない不思議なもの。
怪しい人物が登場して話を揺らすが、そうもしているうちに又新しい殺人が起こり、遂には社会が不穏な状況に陥る。

 

最新事件のある事が不思議な同一性を浮かび上がらせ、それが全ての殺人についても徐々に明らかになる場面は、正にミステリーのカタルシスそのもの。
それがある人物にフォーカスされ、今までの奇怪な法則性がその真の意味を明らかにするのも、また同じ。

 

本格推理小説を何だか、本当に楽しめた気がする。

久方ぶりの本格推理小説の醍醐味。

そして、ミステリのまえに小説家として上手い、文章力がある。

 

話が佳境すぎるあたり、こういう展開で引っ張るのは悪くないがどうなのか、当時の流行りだったのかとか思ったりもしたが、でもそんな憶測は違っていて、ああこう来るのかと唸らささせる事しきりでした。

 

あらゆる推理小説は全てホームズの亜流、という言い方があるが、そんな風に言ってみたりしたりすると、今の長編ミステリ小説は全て黄金期長編ミステリの亜流か水増しだ、なんてと言えなくもない。

 

チャンドラーも最近は村上春樹新訳もありいので注目度は特別高いが、

チャンドラーの文学性もいいのだけれども、

本作クイーンのミステリそのものの堂々とした構築振りには今回は圧倒された。
 

九尾の猫〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

九尾の猫〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

インフルエンザの後色々と

平熱に戻ってから1週間ぶりにインスタントコーヒー飲む。

体力が消耗してるだろうから普段は入れないシュガ―スティック1本投入。

ジャンクな珈琲と砂糖の甘さが、舌と喉に心地よい。

二日ほどこれが楽しみでした。

 

三日後あたり、体力付けんとアカンと思って回転ずしに行く。

しばらく食べていたら何か違和感がある。

食が細くなったのはともかく何かハテナ?

食べ終える頃に気付いた。

スシが生臭い。

店の味が落ちたのか?とも思ったが、こちらの体調を鑑みるにコチラのせいと思った方が良さそう。

スシ屋で生臭いとか思ったのは初めて、大病で口中もリセットされたのか未だ痛んでいるのか、まあすぐには普通に戻らんようです。

 

病気中は24時間寝ているのも何なので、kindleのコミックをダウンロードして読んだりもした。

面白くてページが進むのだが、 1・2話を読むと疲れるというか気力がなくなって読めなくなる。

おかげで2冊分を丸々4日かけ、じっくり楽しめました。

しかし、面白いコミックも読めない病気とはつらい。

 

スシ屋に行った日、8日ぶりに風呂に入る。

スーパー銭湯

頭も洗う。

体内からの高熱攻めとは違った、フツーのぬるま湯がとても心地よい。

この日の夜、途中で目覚めることなく7時間熟睡でした。

 

ま、そんなでした。

 


 買ったわけでもない無責任なlinkだけど、製造がフマキラーというのが効きそうでもあり、ちとこわいようでもあり。

アレルシャット ウイルス イオンでブロック 160回分

アレルシャット ウイルス イオンでブロック 160回分

 

 

新刊二冊ラノベとコミック、本好き下剋上の自称図書委員II、少女終末旅行6巻完.

本好きの下剋上~司書になるためには手段を選んでいられません~

第四部 「貴族院の自称図書委員 II 」

香月美夜

  

主人公がホントにどうでもいいと思って、周到ではあるがキッチリと切捨てる判断をする場面があるのだが、ライトstoryにハイレベルモラルを求めたリ過剰な情緒配慮を浸ったりせずに、そこそこ現実でもあるようなリアル判断処理があったりするは面白い。

 

ホントに著者が好きな異世界と好きな設定に浸って書いているのに、

登場人物が身分移動に従って変遷していたり、魅力的なキャラでも場が変わると殆ど登場しなくなる、

でもそういうのが反ってというか計らずしてか判らないけど、異世界の身分社会について不思議なリアリズムを与えている。

 

このあたりのフリーダムから反射されたようなリアル付与な面白さというのは、ラノベ以外の小説では多分考えられなかっただろうなとか、そう思いました。

 

 

 

少女終末旅行 6巻(完) (バンチコミックス)

つくみず

少女終末旅行 6巻(完) (バンチコミックス)

少女終末旅行 6巻(完) (バンチコミックス)

 

 もともと余り期待して読み始めたコミックでは無かったのだが、ブログの勧めとかもあってフムフム素人っぽい画のもっともらしい事言ったりフワフワと流したりするのかとか思っていた。

 

でも日や月を置いて巻を進め、アニメ化を追っているうちに、

そのフワフワとした絵柄とは裏腹の、ザラザラとした生と死の肌触りというか、

誰もが、人も機械も概念も終わらざる負えないんだという、

無情で非常で無常なくうきが私の心を蝕み、

なんともいえない読後かんになった。

 

此の最終巻では、まさに終末に辿り着き、それは巻を圧する光景であり、言葉を語るのではなくただ黙祷するような気持になった。

 

だからというのも変だが、中途で終ってキリを付けたアニメは、まだ終末そのもの以前の希望と輝きが残っているみたいで、その美しさと華やいだ音には価値がある、とかなんか、思ったりしました。

 

 

インフルエンザB型、で撃沈。

朝からどうにも身体が怠い。念のためにと熱を測ったら37.5度。

こまったねぇ、布団の中が熱かったから起毛のシーツを外してそのまま寝たのが悪かったのか?どうにか判らないがそうこうしているに昼になると体温37.9度。

 

これは困ったと後はもう安静にしていたのだが、夜になっても37.9度。

翌日で病院行は決めようと、さてその翌朝になると38.8度。

これはそうとうに具合が悪い。

 

身体もだるいし、朝一番のローカル病院は混んでいるので11時半に病院につく。

こういうときは自家用車は便利。操作だけで防寒込みで移動でき、自動車はありがたい。

 

受付で事情を申告して現在の体温を測る。

聴こえるか聴こえないかのぴぴびという音で体温計を取り出すと、液晶にも鮮やかに39.5度。

笑う所と言いたいが笑えない。事実笑えないその後が待っていた。

 

受付の人は大体状況は直ぐに解ったろうが表情は変えなかった。

近くのイスで1分も待たないうちに、こちらにどうぞ、と一旦入口から外に案内される。

 

近年では危機管理対応が進んでいるから、強い感染源となりうる患者は待合集団になぞに長時間放置して置かずに、別途専用の入口から専用の診療スペースに誘導して院内感染を防ぐことになっている。

横手の裏口?のようなところから小さな待合室で待たされる。無人

 

5分もしないうちに看護婦さんがやって来てインフルの検査、鼻の奥にコヨリを突っ込むようなアレ。

あと10分少ししたら先生と看護婦がやってきて診察。

 

隣が診察室になっていて、病院の廊下からもワンクッションスペースがあって専用診察室に入るようになっている。

聞いてはいないが、陰圧室といって圧を下げて中の空気が外に漏れにくいようにしている部屋だったかもしれん。

 

『インフルエンザB型です』

と宣告され、5日間以上の外出禁止を申し渡される。

診断いろいろ説明いろいろ、テキパキとやって頂いた。

その後驚いたことに会計もここの待合室でやって貰った。

事務の方が領収書等とおつり金種を予め持参して来られた。

外部との遮断はそれなりに徹底している。

 

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終ったあと隣の薬局へ歩いていく。

薬局ではインフル薬剤の吸引指導。

吸引薬剤をカタコトと薬剤師の方がセット、それを私が口でヒュイーと吸い上げ、それが8回。

直接のインフル薬剤はこれでこの場の8回で終り。

持ち帰りの薬は、熱さまし、タンのキレ促進、粘膜の保護のおくすり。

 

ふつう風邪ひきは医者にかかるまでが大変で、かかって注射なり薬をもらえば、あとは家で安静にしているだけという感じだが。

しかし今回、かたちはそんなかんじでも、薬の効き様がふつうより半分程度しか効かない?という印象。

だから寝ていても結構つらい。

 

唾やタンを吐く回数がだんだん増えてきて、一時期は睡眠も難しい状況すらあった。

喉が腫れあがり痛くなり、水ではなくてポカリが喉に優しい。

水分はとってるし小用の回数も多いのに尿が濃い。

動作が緩慢になり、飯を食べながらだが、なぜこんなにゆっくりとしか食べれないのか自分で不思議に思ったほど。

 

そんなハードな状況は三日ほど続き、尿が薄くなった時期からやや楽になった。

やや、である。

それでも体温は37度台からはなかなか下がらず、なんとか普通の皮膚感覚が戻りだしたのが5日目くらいか。

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6日目朝に,寝汗をかいて、体温計に平温が表示されたときは嬉しかった。

人間界への復帰である。

でもすぐとはいかない。.

数日間で消耗して削がれた体力はソートー有りそうで、うかつに体を動かせられない感じがヒシヒシと自ら感じられた。

たからヨチヨチとリハリビ復帰予定である。

 

体重は2.5キログラム減。

食欲はあるが細くなっている。

食物によっては味がボンヤリ?する。

1週間ぶりに入った風呂は快適。

酒をのみに行こうか、と思ったが家飲みにしておく。

 

 

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 みなさま、おからだは大切に。

ご自愛ください。

映画『マンハント』・・・みた。

冒頭すぐに、田舎酒場のカラオケビデオのような場面が1分ほどあって、ロードショー映画でこれかと、そのアバウトさにはビビりました。

 

でもここでのカマシ?はあるイミ正解で、全編を通して見る者が試されているような三文芝居が続きます。

でも三文だから面白くないかと言えばそうでなく、笑うところかどうなのかと疑義がありつつ見れます。

 

ハリウッド監督ジョンウーというよりも、

香港映画界で百戦練磨の仕事職人ジョンウーが、

与えられた題材と予算と時間と企画で、

中国で人気観光スポット大阪で中国の過去大ヒット作のリメイクを造りましたという極めて対東アジアの興行的な作品。

 

アニメでも無いだろうと思えるクサい脚本には、逆に感心するやら、素直に呆然とするやらです。

 

素直に良かった面白かったのは、やはり日本ロケとか大阪ロケのシーン。

なかなか見れない角度からの水路光景とか、アクションシーンでは香港スタッフ暴走して好き勝手やって撮ったのではとかの迫力もありました。

 

元々の原作の小説や日本映画とは、まあ別物です。

それらと比べてどうなのかといえば良いとも悪いとも何とも言えない。

 

福山雅治が、淡々と仕事をこなしているのは、ある意味で救われます?

 

映画に高尚な情熱を傾けている人は見ない方がいいでしょうね。

 

 

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郊外型スタバ、スターバックスコーヒー奈良鴻ノ池運動公園店.

最近新規オープンして、しばらく時間がたったので行って見た。

 

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奈良市の市街地の北辺、あまり人の行くような場所じゃない?というのは近くにあった遊園地が廃業してもう長くなるせいか、そんな感じだったが、行って見ると、いいロケーションだなぁとか思えた。

 

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それは****一番美しいとか寝言のようなフレーズの事では無くて、奈良市中心部には車では入りにくく、むろん土日以外は容易だろうけど、カフェ営業で駐車場を確保することは難しくて、行く者は別途に時間貸パーキングを見つけないといけない。

 

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そこで漠然と、カードライブで奈良へ行ったカフェへ行った、という感じを満たししてくれる店。
そのへん的中させている。

 

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朝早く行ったけれども駐車場には奈良以外に、大阪・京都ナンバーもありありで、滋賀ナンバーまで1台あった。


郊外宅地の周辺域なので、歩いてくる人は余りいないだろう。

 

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カフェ自体は、別に特に美しい池に面しているわけでは無いが、都会の壁と人間のカフェに比べると自然に落ち着くのは紛れもない事実。

 

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車でブィンと走らせて、小一時をほっとさせる時間の受け皿。

 


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良い店ができたな、とおもいます。

 

 

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彼女は一人で歩くのか? 森博嗣 。読了

彼女は一人で歩くのか? Does She Walk Alone? Wシリーズ

 

普通の本格S F小説が、大きなキャンバスに厳格に線を引き緻密に彩色していくのに比べ、森氏はデッサンのような線画であっさり対象の輪郭を示す手法。

 

『 ウォーカロン。 

 「単独歩行者」 と呼ばれる人工細胞で作られた生命体。

人間との差はほとんどなく、容易に違いは識別できない。

 

研究者のハギリは、何者かに命を狙われた。

心当たりはなかった。

 

彼を保護しに来たウグイによると、ウォーカロンと人間を識別するためのハギリの研究成果が襲撃理由ではないかとのことだが。

人間性とは命とは何か問いかける、知性が予見する未来の物語 』

 

作者に近いような研究者は外界に無頓着。

007のような活劇が身に降り掛かっても淡々と状況に身を任せる。

 

AI、人工臓器細胞、ロボット、人間のアイデンティティ、がさりげなく巧妙にストーリーに織り込まれ、ラノベのように軽く読めつつも、私達が近く直面せざる負えないジレンマや問題に向き合うことになる。

 

作者、森博嗣の著作方針として昔の話ではあるが、分厚い長編小説は今求められないからキリのいい小さくまとまったノベルが求められている、そんな風に書く、とのコメントあった。

 

実際その通りの著作方針で、以後は『数奇にして模型』のような大冊は書いていない。

新書にしてl cmくらいの厚さの本をコンスタントに出し続けている。

 

でも本当に実績のところと見てみれば、それがシリーズとなって実質的には10冊くらいの二ミマム大河ノベルになっているので、読み手としてもやや困惑だが、こういう、今回の彼女は1人でみたいな面白いものをサラリと出されると、金銭的なことはともかく嬉しいものだと、そう思います。

 

でも、アマゾンディスカウントみたいなので、シリーズ読みは進捗状況によっていろいろ大きく割引ますよ、みたいな方針広報なんかもあっていいかも、なんて思ったりします。 

 

虚無回廊 小松左京

図太い骨太の本格SF小説。つくづく小松左京が亡くなったことは日本にとって残念な事だった。

 

『 “SS”―宇宙空間に突如出現した謎の物体。

真径一・二光年、長さ二光年という、人類の技術をはるかに超えた存在を、一体何者が何のためにつくり上げたのか?

AE(人工実存)の研究者・遠藤を中心とした探査計画は、AE・HE2によるSSとのコンタクトをはかる。

しかし遠藤は突然の死を遂げ、HE2からの通信も途絶えてしまう。 』

 

私の知性では及びもつかないリアルな概念を物語で網羅し駆使して、見る事の出来ない遥かなる景色を見ることが出来るのは小松大人ならでは。

 

これを読むと、氏の名短編集『ゴルディアスの結び目』からインスパイアされて開花したものが本作だと良く判る。

 

時系列と空間地理を軽々とスキップ出来るのは、ヒューマンドラマのベースでない物語の骨格と血肉を作者の手中に収めているから。

 

最近やっとリアルに出現し始めたAI 人工知能、その先の先を科学·宇宙·人類ベースで見透す博学を使い熟す知性。

高齢なってなおこの様な、ど真ん中の本格SF小説を執筆していたことは、今更ながら感嘆する。

未完に終わったのは残念だが、それでもなお輝きを放ち続ける作品。 

虚無回廊

虚無回廊

 

  

未完のような感じでも、屹立した完成度の高さを求めるなら、短編集『ゴルディアスの結び目』。

また読みたくなって来た。 

 

「ハードウェアのシリコンバレー深セン」に学ぶ −これからの製造のトレンドとエコシステム  藤岡 淳一 .

めずらしくビジネス系の書物など。

テレビ東京系のライトドキュメントとか、nhk男流儀とかのようにショートレンジだったり話で盛上げ過ぎない感じ。

 

 日本の中小企業は物作りで中国に負けてしまったのか、追い付きまた追い越せないのか?

と漠然とした印象を持っていた私には、素直にリアルを見せてくれた好書だった。


中国に負けているのかと言えば、ある意味では負けていない。

しかし負けた領域を回復させるのは難しい。
物作りのイミが違う。


中国では膨大なB級C級素財が流通し、膨大な零細中小が泡のように製品を造り続け、メーカーと称する者がそれを買って自社のシールを貼って販売する。


百鬼夜行のような余たの製品群があって、そのチョイスだけというー面もある。
製品をアイデアから作ると言うのも、また一面にすぎない。


この辺のCランクの底の厚さ深さは、日本がどうこうできるものではない。
その上での処方箋もあり、別に中華礼賛の鼻高もなく、日本ダメダメの嫌らしさもなく、淡々と事実と実績を著者には好感でした。

 

 

わたしたちが孤児だったころ  (カズオ イシグロ)

日の名残り、で見せたような、感情表現を行きつ戻りつしながら収束させるような文体、時系列についても同様にややゆらゆらしながらも確かに話を進める。
ああイシグロ氏だなと1.2作しか読んでいないのにフムフムと頷いたりする。


探偵と言う言葉が出ながらもミステリーではなくて、その周りから全体を見る様な、ちょっと不思議なスタイルでもある。

 

『 イシグロは、様々なタイプの物語スタイルを精緻に換骨奪胎していくことをひとつのテーマとして、小説を書き続けている作家 』 村上春樹

 

ロンドン、上海と物語は過去と現在を交差させながら、それでも文学的な語り口から、最後には肌がヒリヒリするような冒険に足を踏みいれる。

 

第1次世界大戦の前夜、阿片貿易と上海の闇、租界の無国籍なノスタルジア、かっての少年はロンドンで成功し名を揚げる。

その実力と名声をもって再び上海に向かう。

 

説み深めていくと、ちょっとサマセットモームの影響かと思えるような展開もあって、個人的に嬉しくなったりもしました。

この作品はミステリーではないけれども、明らかにミステリという形式に触発されて新たなるスタイルを創り出したものだろう。


小さな部分に焦点を当てれば、ミステリそのものといった部分もあるが、人間を見据えるロングレンジでかつ複眼的な視野は、上重な文学そのもの。

 

わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)

わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)

 

 

モーニング食べたリ、コミック読んだり。

正月あたりとか言っても何をするわけでもなく、だらだらと読書やコミック三昧だったが、それではあまりにもメリハリないだろうと思って、朝食だけは外へ。

早くから開いているカフェ・茶店・マクドなどへ。

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洒落たスターバックスの次の日にコメダ珈琲に行って高齢者寄りの爺クサイ落ち着いた空気に包まれたりして、その落差を楽しんだりしてました。

 

 

姑獲鳥の夏、コミック。

志水アキ(作画), 京極夏彦 (原作) 

 感心する程いい出来のミステリのコミック化。

原作の歴史と民俗学の話をうだうだと続ける感じなんか、よくも省略せずに会話の続くコミックにしている。

これでも原作からは相当省略しているのだが、この辺の手際は大したもの。

 

ストーリーを消化してコミックにする腕も感嘆するが、何よりもキャラの表情がすごい。

ヒロインの涼子の登場場面には感心。

ああこういう美人はこういう表情をするんだ、何もわかっていないし何もかも分かっている顔、そんな顔や表情が話と相手によって変転する。

こういう美人って、ああいるよねとか。

この画力には圧倒された。

絵そのものと言うより、物語の上に乗った絵の生きた感じが、です。

 

これは是非アニメ化して欲しいとおもったが、最後まで読んでみて、改めて色々と酷い話でもあるので、ざんねんだがアニメ化は難しそう。

 

トリックにしても、文字でなく絵にしてみると、極めてトリッキーで綱渡りなのがよく分かる。

無論それが面白いのだが。

小説や文学といったウダウダとした脳欄と湧乱の中でこそ生息し得る、そんな奇怪で繊細なハナシをみごと絵綴にして見せた一冊。

 

ただ京極夏彦の、あのミステリ大冊群が好きでなかったら、お勧めするにはやや躊躇する。

 

 

 

一汁一菜でよいという提案、少し変わった子あります、の2冊。

少し変わった子あります (森 博嗣)


こういう地味な文学的な面白さも書けるんだと、今更ながら小説家森博嗣氏の多彩な才能に驚いた。

 

大学教授が同僚との話、から始まる。
大学の教授周辺事情は森氏の私小説のように詳しい。
くだらない会議、上品な学生、一人だけで過ごせる時間の充実。

 

友人から料亭らしき店の話を聞く。
本当に食事をするだけの店らしいのだが、どうも要領を得ないし、友人も言い難いらしい。
そうしているうちに、そんな文藝風に話は進むのだが、思い出したのが川端康成眠れる美女


そんな官能は全く無いはなしだが、眠れる美女設定の極一部を摘出し、大きくアレンジ膨らませたみたいな感じ。
不思議なストライクゾーンに投げて見せたものだ、みたいな読後でした。

 

少し変わった子あります (文春文庫)

少し変わった子あります (文春文庫)

 

 

 

一汁一菜でよいという提案 (土井 善晴)


理研究家土井勝の次男にして、現在父の衣鉢を継ぎ更なる活躍を続ける氏の、営業や美食ではないストレートな言葉が綴られる。

 

毎日食べる食事は、常に美味しくある必要は無い。
御飯と味噌汁だけで良い。
具を多く入れた味噌汁はそれがお数。

 

もともと主菜副菜ではなくて、御飯を食べる為のお数だった。
御飯、味噌汁。あれば漬物、これで普段は十分。

お店で惣菜を買ってきて並べてアレンジするより手間入らず。
簡単でも自分で料理する事が大事。

 

別に贅沢や外食を否定している訳ではない。
ハレの日も有ればケの日もある。酒を呑む日もある。


家で普通に食事をする時の力を抜いた提案、というか食事のルネサンスのようなものか。
理屈ではなく歴史と経験と常識から腑に落ちる、納得がいく提案。


目から鱗でした。 

一汁一菜でよいという提案

一汁一菜でよいという提案

 

 

 

ガールズ&パンツァー 最終章、タブレット手書き文字入力mazec3。

ガールズ&パンツァー 最終章 第1話

 T・ジョイ京都にて鑑賞。

ああ面白い。

全6話の繋ぎや紹介だけではない、文句のないこの1話の面白さ。

 

アニメッぽくなった主題歌、

進学・進路状況が号外になるアニメの乗り、

戦車探しが突然の九龍魔界行に、

barでの対行戦、

お約束とか予め分かっている危機とかでも、ワクワクとドキドキと笑いが止らない。

 

充実したアニメの充実した出来映えというのは、見ていて気特ちのいいもの。

すごい数の当場人物達なのに、皆隅々まで気が配られている。

新キャラのマリーアントワネット?はちょっと出ながら在存感のあるかわいさ。

 

おもしろいけど、時間短いと言えば短い。

でも最初から47分と分かっていれば、それ程フマンでもなかったよ。

「最終章 第1話」、上映時間 47分、 通常鑑賞料金 1,200円均一。

 

1200円というのが、なかなかの押さえ処。

 

ただ短時間の映画で6回の続き物のせいか、上映館少ないのは残念。

大阪で2館、京都で1館とはいただけない。

 

 * * *

 

タブレット手書き文字入力、mazec3(手書きによるカンタン日本語入力)

アンドロイド、iPad/iPhone

 

キーボードでない、とぎれない滑らかさ。

鉛筆ペンを使わない掌の負担の無さ

手書きの復権

文字を長年書きなれた年寄にこそ向いているし便利なアプリ。

 

年寄でなくとも点打と判断の入力から、指先の曲線構築への移行は、頭脳を賦活させるインパクトがあると推測する。

丁寧に文字を書く練習にもなるし、何より字を書くことの個人的復権か“愉しい。

 

一度お試しあれ。

https://play.google.com/store/apps/details?id=com.metamoji.mazec