片隅の人生 (ちくま文庫) W.サマセット モーム 読後
『 東南アジアの島々を舞台に繰り広げられる人間模様を、達観した老医師の視点でシニカルに描く。
科の名医サンダースは、中国人富豪の目の手術をするためマレー列島の南端にあるタカナ島を訪れ、そこで奇妙な二人連れに出会う。』
少なくない日本人が現在、世界のあちこちにで佇む、行く。
ビジネスで働きに行くのでなく、トラベルで通り過ぎるのでもなく、彷徨して腰を下ろし漂う。
そんな時代になって来たからサマセットモームの南洋ものは、過去においてよりも今日でこそ今の私達にとってリアリティがある。
今日では余り書かれない阿片についても、当時の感覚で少し書かれている。
手の付けられない中毒者でなく、おそるおそるの鴉片チャレンジャーでもない、普通に阿片を嗜む人物の生態。
主人公の医師が嗜んでいるのである。
短編にモームの真髄があるとは言いながら、長編の展開に不安さは微塵もなく、それは読者の一方的な勘繰りで、長編ならではの表現と構成は小説文章を心得切った手練れと、読みながら改めて感心した次第。
個々の場面で展開が読めたり予期できても、人物の造形と描写が判り易くて卓越しているから、じっくりと深く文章を読ませる。
短編とは違った魅力がある。
月と6ペンスのようなメインテーマでもないが、芸術と人、というテーマ、もある。
異国の地において、『本当の自分』を見つけたばかりに失速していく人々。
オーストラリア大陸の北端に浮かぶ木曜島で、白蝶貝採集や真珠取りをする日本人潜水夫が僅かに出たりして時代を感じさせる。
登場人物は皆多面的に描かれる。
右から見た姿と、背中越しでは違う人のようにさえ見える、とかのように。
これが巧まぬうちに、謎解きの様な興味に読者を引き込む。
終わり近くになって物語のヒロイン?ではないのだが、一人の女性が多面性の中で戸惑いながらも自分や人々を語るのは、アイロニックな世界の完成をも見るようで、不思議な感動がある。
これだけ面白い作品が、過去に新潮文庫のモーム集にも無かったとは、やはりモームは過小評価されている。
しばらくモームを、発掘してみたい。
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冬支度 - 酒
今年はオーソドックスにせめてみました。
さてさて。
越乃寒梅、清酒。
寒梅でも一番ローエンドの酒だから、居酒屋で飲む酒とは違う。
私も店でももう相当飲んでいない。
今回の此れは、プレミアムな寒梅を飲んだ時のような、水を飲むような透過してしまうような鮮烈さは無い。
日本酒の甘さはある。
しかし後を引くようなベタさは無い。
このら辺りは同様多種の日本酒との価格含めた比較考量だけど、十分選ぶ価値はあると思いました。
ニッカ、フロム・ザ・バレル
3.5倍程度の水で割っても、舌と喉をザラつかせるwhiskey触感は残る。
飲んでしばらくして、ふと気づくと口蓋の奥にほのかなピート臭もある。
良いウイスキだと思います。
オイル入替、銭湯で文庫本
自動車のオイル入替。
年に一回入れ替えているが、いつも12月くらい。
昨年と同じオイルを今年で二回目、入れる。
フィルターも二年変えていなかったとかで交換。それもこれもあって吹け上がり良くなった。よく使う低速域でもトルク増した、気もする。
気がする、が大事。
たまには高回転で回したいが普通道路ではやはり無理。
早朝走らせる。
車少ないから走れるかと思ったが、そうでもない。
車は買い物とか日常雑務にしか使ってない。もったいない。
今、たまに走らせてみるのが、遠くのマクドナルドとは情けない。
ドライブするのも面倒くさくなってしまった。反省。
一般社会でも、ドライブって言葉が廃れて来てるようだが。
でもやはり早朝、走っていて広い幹線道路に入ると、それなりに走ることができる。
いつもはしない、前の車を横に逸れてビュインと追い抜いたりする。
エンジンは静かによく回る。
でもまあ、5000回転近くをあれこれするのは、高速乗らんとあかんね。
銭湯で文庫本。
スーパー銭湯で上がりの湯に入っていたら、入り口から一人が湯船に入ってきて、なんと文庫本を読み出した。
場所にもこだわりがあるらしく、人が湯から出ると素早く場所を確保した。
端で背もたれができる場所。
両手を湯から出して、両手で文庫本を開いて読んでいる。
時々メガネを直している。色摺りのカバーのある本。
失礼だから見つめたりはしないが、狭い浴槽の中、いやでも目に入る。
ほか2名の浴客も黙って浸かっている。
適当な時間で風呂から上がり浴場から出たが、今思うに、いつまで文庫本を読んでいたのだろうかと、思ったり。
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ロータス・イーター Kindle版 サマセット・モーム
短編集。
久しぶりにモームを読んだ。
存命当時は大衆小説家などと批判もあったモームは、物語の中での人の面白さを大事にした、軽薄な文学性などに捕らわれない真っ当なストーリーテラー。
3人の太った女。
優雅に老いた、でも肥満した女性3人がリビエラで毎年ダイエット合宿する。
高級ホテル、専門医師のアドバイスメニュー、暇つぶしのトランプ、食事制限に関するあれこれ。
モームが日本に翻訳された当時は、第二次大戦前だろうか、その頃は夢のような異国風俗だったものが今や日本のダイエット界隈では珍しくもない風景。
しかし流石に食欲テーマを当時取上げた先駆者でもあり、地の実力もあり、第1次大戦前の風俗の魅力ありで、するするふんふんと普通の面白さを楽しませてくれる。
ブンガクーという堅苦しさ無いのは流石モーム。
良心的な男。
最初に眼に留まった文字があって、『犯罪者植民地』の文字。
なんだろうこれは?
サン=ローラン=デュ=マロニ、今日で言うブラジルの直ぐ北、ギアナの街なのだが『犯罪者植民地』と称されている。
当時のフランスは犯罪者刑務所をここに造って、バカすかと大量に受刑者をフランスから南米に島送りならぬ南米大陸送りしていたのだ。
こんな歴史的史実一つでも面白い。
でも、街はのんびりした雰囲気もあって、囚人服を着た囚人が、街の仕事・用事とか小間使いにも駆り出されていて、街を歩くと縞々の囚人服と擦れ違うことは珍しくとも何ともない。
囚人ものんびりやっている。
ただし夜になると、監獄では朝まで監視を放り出してしまっていて、たまに原因不明で囚人が死んでることもある。
長い年月ここで過ごした囚人は、もうフランスでの伝手も何もなく、刑務所関係の仕事に喰い付き、土地を離れることが出来ず、仕事の無い時は昼間から酒を飲んでいる。
その地でモームは一人の囚人と出会う。
掘りだしもの。
当時、そろそろ少なく成りつつあったイギリスメイドの話。
翻訳が古いので、女中、と訳されるが紛れもなくエマやシャーリーのようなメイド。
ロータスイーター。
ここまで読んで気が付いた。
この本は読んだことがある。
本棚を引っ繰り返すとあった。昔々の新潮文庫モーム短編集、『ジゴロとジゴレット』。
題名は変わっているが、中身も訳者も同じ
たしか10代末から20代辺りに読んだのだろう。
記した3篇は覚えていなかったが、この『ロータスイーター』は個人的に強い印象があって覚えていた。
今日でも有数のリゾート地である。
ここでモームが語られる話はどういうのだろうか、今風に言えば『ボクは今日会社辞めてきました。』のバリエーションか。
私は昔からこういう、普通の人の生き方から外れて無為にすら見える軌跡に強く興味を持っていた。
人によれば、モームの厳しい皮肉と批判をこの小説で読み取るかもしれないが、私は優しい人が疲れてしまってキツイ言葉をポツリと口にしたような印象を受けた。
いろいろと示唆も読み取れ、改めて読んで感銘があった。
新潮文庫からフォントも文字校正もやってるらしく、電子書籍Kindleになって読み易くなった。
ジゴロとジゴレット。
リビエラの社交界。
大きなディナーの会場で高飛び込みのアトラクション。
19メートルの梯子の上から小さな水槽に飛び込む。
水槽表面はガソリンが炎上している。
その生業をする男女。
長編小説的な奥行もあり、様々な人々の視点あり、人目を惹く派手さもあり、それを本当に小さく短編にまとめている。
まさに短編小説の名手の面目躍如たる作。
下と内容は同じ。
メイド、といえば。
プリメ最終回「生きる」
わりと無難な終わり方をした。
染織家の布というのは何かのファンタジーめいている。
数多くのキャラが出る原作コミックであるにせよ、どらま最終回で新キャラを入れるのは、やや印象が拡散したままで、ドラマではなくて散文のまま終わっちゃった感じあり。
ドラマでは最初の頃の、音楽の使い方が面白かった。
この辺を最後に膨らませて欲しかったかも。
実印ぺたぺた押してたけど危ない遊びだ。
複写して転写とか詐欺めいたことが頭に浮かんで笑えない。
ふつー他人に押させるものでは無いでしょうね。
信用するしないとはまた別のことで。
全体として、ユニークなキャラが多々いるのにドラマでは皆を使いこなせなかった。
沼ちゃん視点から外れ切ることを恐れたせいか。
最終回までに契約しないまでも、なにかもう少し焦点になるものというか集中した着地を見せてほしかったな、というのが正直なところ。
でもまあいいでしょう。
ドラマ臭くない、普通な視点の暖かさがあったドラマでした。
コミックまた読み返します。
いまさら翼といわれても、読んだ。 「古典部」シリーズ 米澤 穂信Kindle 版
アニメ化もされた古典部シリーズ、の最新短編集。
感想は分割したり、順も不同。
村上春樹の小説では、パスタを茹でているときに電話がかかってくる。
そこから物語が始まる、こともある。
この短編集ではオレキホータローが焼きそばを作っている。
冷蔵後の具財をそろえたり、冷やし中華をつくっている事もある。
作り終わってさあ食べよう、というときに電話がかかってくる。
マヤカの漫画研究部の続き。
先輩が辞めて意外な展開を見せる。
マヤカには似合わない展開をずっと続けることができるのは、作者の手腕ならではか。
箱について、一種の密室バリエーション?
視点を大きく変えることによって、全然わからないのに、なるほど簡単と導くミステリー手本のような作。
単行本未掲載だがアニメ化されている連峰。
読むと一味違う。
過去の評判・評価といったものは覆しようのないものだが、手間暇時間をかけて真相を探ってくれるのは本人の人徳故か?
ああ高校中学って、こういうややこしい所はあったねぇ、若いことは羨ましいけど、こんなごちゃごちゃした関係には戻りたくないなと、ふつうに思わせてくれた作品でもあった。
一方。自分の過去のわだかまりを話せる人がいるって、いいもんだな、いいんだろなと思える作品。
ここで触れられてることは私にとっても結構重要だった。
誠意が通じる、その相手と場所と時を判断しなくてはいけない。
誠意とか親切で仕事をやってあげると、そんなあれこれの子供っぽいエピソードではなくて、結構年を経た大人にも、ああそうだねと、ため息交じりに頷きそうな話。
著者特有の含みの多い表題作。
私には有名なポップス一曲が、背景に聞こえてきた。
背景の背景、といったところか。
そのポップスとは違う格闘や苦悩もあるんだ。
彼女の苦悩を素直に描けるのは、特定モラルに沿うのではなくて、人間の一人一人を見据えることのできる作家だからできること。
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プリンセスメゾン もう残り2回。 第6回「もう帰らない家」
演出の長さに紛れて、これはどうかなとおもっていたが、学生の沼ちゃんがアパートの畳を拭き続ける場面はグッと来ました。
最後の鉄橋のところは、東京でも有名なところですね。
作家の山口瞳が文庫の写真背景にしていた。
元々童顔でもあるから学生当時の芝居も違和感ない。
このテレビドラマシリーズ。やはり原作の群像表現をこなすには荷が重いか。
染織家と大きなホステスは上手く捌いてほしいもの。
いろいろと膨らませて味付けタップリだけど、沼ちゃん両親の葬式場面など入れないのは、わきまえているようです。
居酒屋じんちゃんの場面入れるんだったら、焼き鳥とか美味しそうな一品も然り気無く見せておいて欲しいもの。
一人で家を買うのは悪いことじゃないんだよ、というスタンスはいいですね。
そろそろマンション資金の具体的な計算、頭金いくらで返済計画の詳細なんてのも出てくるか。そこまでやると露骨か、どーかな。
東京砂漠、もう一度聴いてみたい。今度は本家の前川清で。
受付二人は元宝塚トップ。
乃木坂46の元メンバーも沼越えつこ役で登場した訳だし、
ならば、最後はキャスト総出のミュージカルで締めるか?
BS獄門島、プリンセスメゾン とか。
長谷川博巳の金田一耕助。
NHK BSプレミアムの獄門島は面白かった。
撮影は、孤島の地形や島を覆う不気味な空気感を求めて、雄大な自然と歴史的建造物が多く残る佐渡で敢行。
探偵の部分的天才性、そのおかしさ具合を含めた解釈が現代的で斬新。
原作の弱点である動機の弱さ、これを会話のやのとり犯人との罵り合いに託つけて、衝動のリアリティが増し、同時に探偵の性格的偏りが浮かび上がるのは脚本の勝利。
終戦直後の特殊事情も巧妙に適切に、進行を敷衍している。
「きちがいじゃが仕方がない」は変更されずそのまま用いられた。
音楽も事件っぽくて鼓動が不安な風、よいかと。
脚本 - 喜安浩平、演出 - 吉田照幸の獄門島は、市川昆と石坂浩二の横溝ビジュアルとは、また別の正解を確固として提出した。
この一作だけで埋もれさせてしまうのは、惜しい。
スターウォーズ1作目リニューアル分。
Wowwow で放送されてた。
有名すぎるから誰も言わないのか、ダースベイダーの有名なテーマが登場しても鳴らない。記憶違いか。
プラモデル撮影からcgに変えた宇宙船は綺麗。
リニューアルして洗練されたが昔の図太さがやや減な気もした。
プリンセスメゾン 第5回の「いつかの家」
原作関西弁の金持ち姉さんキャラ。
沼ちゃんと絡ませるのはいいけど、なんだろう、もっとフワフワとした地に足の付かない優雅さとベタな関西弁のギャップが魅力だったのだが、なんでかイントネーションも平坦だし、星見える見えないとか洒落たこと言うけど下品で、ちと? でした。
関東の方からみれば、関西人はああいう下品さで丁度いいでしょ、というあたりか。
原作のあれだけど、最初の頃に伊達さんがゴミ袋がゴミ袋を出している、の場面。
これが略されているみたいで残念。
なかなかエッジの効いた場面なので、テレビドラマ化というビジネスで多方面に配慮と気兼ねの結果エッジが貧困蔑視に取られかねないとでも気を回したか。
とてもいい場面だと思うんだけどなぁー。
今回歌がなかった。
中古物件に対する意見やトリビアでなく、物件そのものを見せてほしかった気もする。
- 作者: 横溝正史
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プリンセスメゾン もう半ば、第4回目「憧れのライフスタイル」
opを今回は女子星に変えた?
冒頭の沼ちゃんうつぶせ卍姿勢はコミックぽくて◎。
原作のパーツ節々を使ってコミックとは別物に仕上げているけど、不思議に見れるし不快感もない。
換気扇を引いてから、上の戸棚に手が届かないと、視線を上に寄せる細かい演出。
いつ死ねるんだろう、は原作でも攻略難易度が高いフレーズ。
高級のマンションの共用スペース、パーティルームとかよく分からないので舞台説明してくれてなるほど。
毎回やってくれる、聞こえるような音楽に併せて口ずさむ、はテレビ化の収穫の一つ。
登場キャラを絞って膨らましてくる脚本は、それなりに難しいだろうに健闘。居酒屋じんちゃんを狂言回しスペースに用いるのも安易そうだが納得。
伊達さんにしろ、独身女子星ににしろ原作にないウエットさを出しているが、濡れて不快にならない節度は保っていたとおもう。
結果、沼ちゃん一人にビジネス皆んなが構い過ぎになって見えるが、まあいいでしょう。
edの沼ちゃん部屋ショット、ピンクカーテンの逆光がきれいで、希望に満ちた部屋にみえました。
大阪駅の北側、映画を見にいった。
前記映画鑑賞のために午後。大阪駅北側に向かう。
ふつう大阪でミナミ・キタとか言われるキタは大阪駅の南側。
北側に出た所の写真。
大阪の中心なのに発展途上感があって面白い。
この世界の片隅に、を上映しているシネ・リーブル梅田は、写真中央の天辺が繋がったビルにあり。
未来の凱旋門とかで外人の有名観光スポットになっているが、私は映画を見に10数回このビルに来ているが屋上テラスには上がったことがない。
ビルの印象としては、ささやかな小箱映画館の施設という印象で、あらためて考えると何だかオカシイ。
テラスの登ってみる気も起らなかった。
またいつか、そのうち上がってみましょうか。
ビル隣の弁当屋の横で、弁当屋がこじゃれた料理もだしている。
タヌキ丼ではなく、玄米と地鶏の親子丼定食930円。
おいしゅうございました。
シネ・リーブル梅田の三階入り口前。
受付前の直線上にATMができていた。便利かも。
シネ・リーブル梅田から大阪駅北側を撮った写真。
右から3つがグランドフロント大阪、と言われるもの。
映画上映の間際になって、皆着座している中カップルが入ってきて、その男がやたらうるさい。女性は頷きしかしないが男は声高にあれこれ喋る。
声が止まらない。携帯電源切らんとアカンとなどもワザワザ声に出す。
その上、あれ携帯が無い、無い、どうしよう無い、と段々甲高い声で大声になる。
流石に睨んでやろうかと顔を向けると、周囲一帯の皆さまの顔も同じく動いていて、その私の視線が固まる前に、近くの白皙の青年がうるさい!と怒りの声。
その一言で彼は全く黙ってしまったのだが、怒られてショックを受けたのか何だが息を詰まらせるような変な声がたまに聞こえてくる。
変な伴奏で映画見るの嫌だなあと思っていたが、映画はお気に召したのか息も聞こえなくなった。
なにか事情があったのかもしれないが、まあ映画館だしね。誰にせよ気を付けて欲しいものだ。
映画は前記のとおり。
絶句するほどの印象と残響と余韻さめやらぬ中、barで3杯飲んで、〆に松屋でネギ豚丼。
御機嫌で帰ることが出来ました。
劇場アニメ、この世界の片隅に。 シネ・リーブル梅田でみました
映画を見始めて、いろいろと思い付くこともあったのだが、見ているともうただ見ていたくなって、日付が8月に近づく怖さとか、焦燥もあり外してくれたのかと安堵もあり、でもここで持ってくるか でもこの親子誰なんだとか、息を呑んだり安息だったりの終盤でした。
なにか感想を書こうかと、でも見終わったときは何も言えない文字にならない。
間接表現と言うか、スポットライトを直射するのではなくて日常風景の平凡な灯のもとに、その本質がゆっくりと動いてたのを圧倒されて見ていた気がする。
絵、風景、自然、段々畑、山、呉の軍港。そのスケッチの美しさと充実。押し付けがましくないが画面が満たされている。
妻を外に出して鍵をかけるという生々しい場面もある。でも歪んではいないし、ちゃんと後ですずさんに本気で怒らせている。
この映画の素晴らしさについて語る言葉がない、というのが身体的実感。
だから言いたい。
大阪の中心で小さな箱上映しかないのは何を考えているのだ。
この映画を見て、大箱で上映しない判断を下す日本映画界の盲目ぶり・ビジネスセンスの無さ・屑っぷりはなんだろう。
奈良では上映すらされない。カワセナヲミ一人に燥いでる官庁やナラ商業界は馬鹿みたいだ。
そんなことだから、もう邦画はアニメに圧倒されてしまったのだ。
紐の付いた焼夷弾の禍々しさ、爆発そのものでなく飛んでくる破片ポツリポツリピュンピュンの戦慄。
最初の空想癖とか座敷童とかあって、ちょっと水木しげるが入っているのか?とか思ってたら遊郭で少女再会らしくあり、そうでもないかとしていたら、時限爆弾でやっぱり水木しげるマンマじゃないかと思い至ったのは観終わってしばらく経ってからでした。
すずさんのキャラについては、ああ何と言っていいのだろうか。
きっと皆さんと同じ気持ちだと思う。
これは不朽の名作でしょう。
プリンセスメゾン 第3回も見る、「女が1人で生きること」
原作の流れを崩して解しているけど、そうやって添加再構成しないと8話持たないか。
原作の感情の感触は、ちょっと離れた硬質な視点があるけど、ああいう空気はテレビドラマではやり辛いのだろうか。どちらかといえば映画向き?
伊達さんクールさにエッジをかけてるがテレビ流のメリハリ。ほか三人をまとめて沼ちゃんに寄せすぎたのでバランス取る意図もありか。
原作が頭にあると、やや焦点が定まらない感じ、まあこれからの流れのつなげ方によって変わってくるけど。
部屋中のリフォームから、淡いピンクのカーテンにかえたり、小物入れを吊るすだけ、そんなも一人住まいで生きる知恵。
原作コミックが常に頭にあってドラマを観てるけど、逆にテレビドラマからコミックに入った人達は、中にはマンガ物足りないというかコミックの絵スカスカに見える人もいるんじゃないかと思ったりすると、何だかおかしい。
原作の余白はファンにはもう自分なりに埋まっていたり、余白に原作の言葉が反響して詰まっていたりする。
さて次週はどう料理してくれるやら。
プリンセスメゾン 第2回 「身の丈に合った物件」 見続け。
大家と沼ちゃんのからみは構成上面白い。
立場上、大家がいろんな人物に廻していく狂言回しになるか。
遊びの余地が多い原作を、テレビドラマは楽しく遊んでいる。
不動産屋トリオが、居酒屋じんちゃんで飲んだ帰り、各自が同じ歌に合わせて鼻歌歩行していくとか。
沼ちゃんのスーツ正装はピシッと、本気度全開で新鮮な魅力。
彼女の真直ぐで真摯なかんじ、よくでてます。
原作コミックもそうだけど、無理にドラマや恋愛や葛藤を持ち込まない、フツーなスタイルがいいです。
最後、アパートにお招きして窓から良い匂い、の場面。
誰かが料理している心象風景は見せ場の一つと思っていたので、家についての語りにいったのは意外。
映像的にも沼ちゃんのキャラも立ち上がって固まったようで、2話も楽しく見れました。
・・・ それからこのBSプレミアムドラマ、1話は月曜日のよる11時45分から再放送で見たのだけれど、ドラマのhpに再放送予定が載っていない。
NHKオンデマンドで放送翌日から配信、との誘導あるのみ。
月曜日に番組録画の作業をしていたら、たまたま再放送を見つけたからいいものの、nhkにしては不親切。
おかしい、と思って探してみたら、よくあるご質問の欄に再放送の件を紛れ込ましてあった。
普通、放送予定の項目をhpTOP見開きに表示しておくものでないか。
Nhk広報は反省すべし。